二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2010.08.03

藤井よしえという生きぼとけ

自転車におばさんがよく傘ホルダーをつけているが
ある日、私と父が兼用している自転車にそれがついていて
うわ、なんてことするんだ、こんなおばさんくさいもん勝手につけて
と思っていながら数日後のある朝、試しに日傘をつけて出かけてみたら
うーむ。なんて便利なんだろう。
こりゃおばはんたち全員つけるはずだわ
おかげで、日差しの強い夏でも自転車に乗ることが増えました
しかしながら、坊主のあの黒い衣は暑くてかなわんです
あれを、和服でなくて洋服の上に着ることは許されているのですが
その下に着る洋服というのが、透け透けなのでなかなか、モノを選ぶわけで
なにを着てみても、特に女性の場合はシャツにネクタイっていう定番がないので
おかしい。とにかくおかしい
あの衣をまとったからといって、いったいなんだっていうんだ
医者が白衣を着てないとなんかダメなように、
坊主もあれを着てないとなんかダメなんだろう
なんかダメなんならなんかダメでもいいような気もする どうせダメなのだ
まあそんなひとり売り言葉に買い言葉みたいなことはおいといて

ライブの後に、本人的にどうだったのか書いてよ、みたいなことを友人に言われた
それは、めんどくさいなあ
実はほとんど反省しかしていない
あとは、やっぱり当たり前すぎるけど感謝の気持ち
こういうのは書くとなんか嘘っぽいからあんまりわざわざ書くのは躊躇われる
来てくれていた皆さんにはその場で伝えたつもりであり
しかしながら、あらためてお礼状を書くという風習があるけれど
あれはご丁寧ですね
その場で別れ際によくよくお礼を言って帰ったのに
なんか家に帰り着くとまた、ありがとうございましたという気持ちがこみ上げる
そしてなにかお礼の品とか届けたくなってしまう
でもたまっていた仕事に追われて出来ないことの方が多くて、その気持ちはまるで無かったことになってしまうけれど、
ほんとはあったのです ちゃんとその感謝の念だけは送っているつもりだが
あ、ほらなんかやっぱり、言い訳くさい
しかし、テレパシーとかを信じているつもりは全くないが
不思議と、その人のことを思っていると、その人から手紙が来たり、
その人の書いたものに出会ったりする。そういうことが最近多いので
なんだか、じゃあ、伝わるかもしれないから、念じるだけは念じておこうと思ったりする 「たりする」のはもうオザケンの頃の時代の言葉だと思っているので極力使わないようにしているが、「思ったり、思わなかったり」する時はやはり便利で省略して使ってしまう。ちなみに「全然OK」も「全然問題ないです。OKよ」のダメ押しを、間を省略した形であろう。

ということで、では近いところだけでも書いておきましょう
ラマに行ってきました
その前の日の広島FMのコメント(毎週ではないけれど「庄司悟のリクエスト魂」という金曜夕方の生放送の番組へボイスメールを送っています)で、「夏フェスは嫌い」「行く人の気持ちがわからない」とかさんざん言っておきながら、結局二日間ほとんど居た。
えー そんな暇があったんだっけ?
自分の車で行ってたくせに、つい本番終わりでビールを差し出されて飲んでしまった。
ので、移動できず、冷ますための時間を過ごした。
二日間とも、朝一の、neco眠るとYSIGへ、ゲスト出演させてもらった。
自分の出演は辞退してもゲストは楽しいからいい
野外の暑い中で二階堂和美の弾き語りなんて全然聞きたくもない
基本的には私は音楽は音楽に集中して聞きたいので
ひとりで聴きたい ライブを観に行く時も、たいてい一人で行くし
だれかと連れ立って行っても、だいたいふらっと離れる
映画もそう 美術館もそう 人と一緒では全然集中しない
でも、わーわーやるライブは、別 そういうのも好き
まあ、別物ですね 家のカレーと タイカレーが違うような

とにかく、ゲストでやらせてもらうのは
ただただ楽しく嬉しいです
まあ、楽しいのは自分が大好きなバンドの時だけですが
今回は大好きなバンドだったからつい行ってしまった
それにしても、朝一番ってむしろいいですね
いちばんいいなあと思った
まだ体力ある で、飲んで過ごす。冷まして帰る。
うわーだらだらだ なんだこれ。これが夏フェスなん?

途中でレモンを買って会場に行こうかしらと企みつつ
どっちの日も遅刻してギリギリに会場入りしてしまって行けなかった
でも、会場の前の道を歩いていたら
レモンが落ちてました
見上げたら、それはレモンの木だった
あ、これ?レモンの木ってこんなんなん?!へー
瀬戸田は街路樹がレモンなん?へーすごい
さすがレモンの生産量日本一の瀬戸田
YSIGの本番中、ごそごそ木の下にもぐって拾って
YSIGのメンバーの数だけ拾って
みたら服にとげがいっぱいささっててギョッとして
なにをやっとるんだろう?本番直前に と思いながら
木にはまだ青いレモンがいくつもぶら下がっていて
わたしが求めていたのは、小ぶりの丸い、ピンポン球とテニスボールの間くらいの大きさのものだったのですが
落ちているのは結構大きいのばっかでした
そもそもは、前の日、髪を切りに行って
「岡ひろみ」(『エースをねらえ』のヒロイン)をオーダーして
それならテニスウエアでしょ、などと美容師のすーちゃんと悪のりしながら
necoの時、ラケットでレモンをスマッシュして打ち込む光景を思い浮かべていました
レモンが落ちてるのを見つけたのは、二日目の朝で
レモンの大きさも、まともに大きかったので
こんどは、サイトウJxJxくんとの「テレビジョン表紙」が浮かびました
もともと、わたしにとってJJは、しゃべり方が完全にアイドルで
誰のしゃべり方なのか、未だにピタッとこないのだけど、
トシちゃんとかマッチとか、そういうへんの
シャラシャラっとした、素人じゃない、タレントの声だと思っている。
ちなみに落ちてたレモンは、拾ったあと、在日ファンクの待機している控え室で洗って、ビールが冷やしてある氷水の中で浮かべて冷やしてから投げましたよ
中身はどうだったのでしょうねえ だれか食べたかな?
完熟して自分で落ちたものだと思いますから、露地ものならぬ路地もので、おいしかったかもしれません
昨日、その名残で、普通にスーパーで地物レモンを買いました。蜂蜜漬けにして皮ごと食べるのが好きです。

で、ラマは、ランキンタクシーさんとか、スチャダラ兄さんたちとか、在日ファンクとか、旅人くんとか、たくさん素晴らしい芸を見せてもらって、なんかすごく満喫してしまい、
しかも、初日夕方は、ちょっと足を伸ばして今治まで、私が一番好きなコーヒー屋さんに一杯のコーヒーを飲みに行ってしまったり、
そしたら居合わせた友人が突然だったのに夕食に招待してくれたり、
その道中、しまなみの大島大橋からチラ見した瀬戸内の夕暮れ風景が素晴らしく、
まるで西国極楽浄土。と、この島々山々を背景に金色に輝く水面を見る度いつも思う。

というわけで、たまっているブログをかいてしまおうという当初の課題は全く消化されぬまま帰ってきました
さすがに帰りの道のりはぐったりとして辛く果てしなく、途中のSAのベンチで何度も寝ながら、なぜかやけっぱち感に溢れていました
翌日はラジオ体操も休みました
今日は復活して行きました
昨日は今週5日の平和コンサート、および青森の岩木遠足の練習をみどりさんとしました。
5日のライブは告知をしていませんでしたが、会場であり主催でいらっしゃるお寺の方針で、無料です。「庄司悟のリクエスト魂」を生放送している、広島市府中町のダイヤモンドソレイユの近くのお寺、久蔵寺さんです。
ご近所の方々が主かと思われますが、どなたでも大歓迎とのことですので、よかったらどうぞおいで下さい。線路沿い、コンクリートのピッカピカの新しいお堂です。うちとはえらいちがいです。夜7時から、休憩はさんで30分ずつ。子どもたちもいるのじゃないかとふんで、絵かき歌も、ホワイトボードでちょこっと披露予定。平和コンサートと銘打ってあるのは、ここ久蔵寺さんが、原爆で亡くなった多くの方を思って建てられたお寺であるということに由来しているそうです。私のおじいちゃんの弟がそのお寺にお婿さんに行ったらしい。だからそこの家のみなさんも二階堂さんです。平和コンサート、というタイトルでライブをやるのは始めてなので、いったい何をしたらいいのかと構えてしまうけれど、普段から平和を願っていないわけがない、とも思い、いつもやっている曲ももちろんやります。
老人福祉施設とか、祝島のおばちゃんたちとか、夏休み子ども合宿とか、岩城遠足とか、カフェライブとか、夏フェスとか、やらせてもらう場は随分種々様々ですが、そこに歌が要る、あったらいいな、ということなのだろう。
どんな歌が?なにがそこにあったらいいのか?
予想しながら選曲する過程がもっとも苦しい時間であります。
そもそも人前にでてなにかするのは苦手であります。
しかしながら核兵器は廃絶したいです。
核爆発を利用した原子力発電所もたってほしくない。
被爆する人をわざわざ生むのはやっぱり広島に育った人間としてものすごく抵抗があります。
他の方法を考えたい。

以前、「仕方がない」という言葉が嫌いだという友人がいて
わたしは「仕方ない」「しょうがない」を割とよく使っているような気がして
なんかすごく悲しい気持ちがした
だって、仕方がない時は ほんとに仕方がないのだもの
仏教でいうところの「因縁」がそうかもしれないなと思う
映画『息もできない』で家や家族のしがらみに、えも言われぬ共感を感じた今の自分には、その因縁を受け入れるというところに強さを感じる
受け入れて、乗り越えるというパワー
仕方がない、はあきらめではある
だけど、常に後ろ向きとは限らないのである
じゃあどうするか。
変えられないものもある ということを知る
それが人生の歩みであると思う
変えられない どうにもならない
歩みを進めて行けば、そんなこと、そんなものばかりと思い知らされる
だが、そこで発想の仕方次第
アイデア次第なのである
仏教は ひとつのナイスアイデアだと私は思っている

藤井よしえという人がいる
彼女のバンドのトリビュートアルバムが出来る
今、彼女は生きている。福岡で生きている。闘病中だ。
わたしのこのインタビューをしてくれた人だ。
タイムマーケット バンドファイル
かなり初期。2002年2月。
今日、久しぶりに読んだ。
彼女と出会ったばかりの頃だ。
それから、時々しか会ってはいないが、ニーハオ!やplace called spaceの大木さんらと、東京や大阪、福岡でイベントに一緒にでたり、呼んでくれたり、
「二階堂和美のアルバム」がでたときには、彼女は結婚して子どもも生まれていて、
旦那さんが料理を作っているカフェ、gigiもできていて、
gigiと、タイムマーケットのイベントと、両方で発売記念ライブをうってくれ、
彼女のうちに泊めてもらった。
まだ幼い娘のはるちゃんと、深夜にロシアアニメのDVDを一緒に見たりして遊んで
夜中にこんな幼子が起きてていいんかいな、はよ寝かさな、とか説教しながら
彼女ら親子3人が寝ている普段のベッドから一枚引きずりおろして
「これ使って」と布団を渡され、わたしは彼女らのにおいに包まれて眠った晩。
藤井よしえとは、数年に一度、まだ数えるほどしか会わないのに
他の人にはしない個人的な話をすんなり話せてしまう人だ
「よしえちゃんは、シャンソンとかさ、なんか、飲み屋のママみたいな歌歌ったらいいんじゃないん?」とかなんとかい言った覚えがあるが
彼女の作る歌はとても乙女だ。
ソロも、バンドも。やっていることも。
彼女は店をいくつも運営していて、すごく大人だ。
すごく大人であり、乙女である、希有な人。
すれていそうで、すれていない。
わたしのほうがよっぽどすれている。
わたしは彼女に会うと、自分が汚れているなあと思わされる。
彼女はいくつも私を励ます言葉をくれている。
「自分に似合う服、うまいこと選んどうよね」
「二階堂さんの歌詞、すきたいね」
方言のいいまわしは違うかもしれないが、私の記憶の中ではそんなような響きで残っている。
わたしにとって彼女は、どことなく、仏様と似た役割を持っているのかもしれない
自分の心に鏡を向けられるような
彼女の純粋さが、ぐさーと、いや、すーっと かな、
だから、なんでも話せてしまっていたのだろう
しばらく会っていない
その周りの友達からも縁が遠くなっている間に
彼女はガンにおかされていた
知らなかった
半年遅れて知った
彼女の日記を全部読んだ
私はまた、この非常事態に、自分が励まされてしまった
やっぱり彼女の存在は仏っぽい
ちくしょう
どうにもならないこともあるけれど
彼女を見ていると、そこからの歩みが、その人の底力 その人の本質のような気がする
いや違うか、彼女は、そこまでも既に その人のまま、ほんとにきちんとやって来ている
だけど今感謝に溢れている彼女に、わたしはやっぱり感謝で一杯

私がトリビュートアルバムで歌わせてもらった曲は
よしえのソロのアルバム「familia」からの「sweet wind」。
彼女が、自分の家族への思いを歌ったものだと思う。
でも今彼女は、家族だけじゃない、友人知人、みんなに向けてこの歌を歌っているはずだ
と、わたしは勝手に思って、勝手に歌った
勝手に歌詞もちょっとアレンジさせてもらった
歌というのは、作ったときにはそこまで想像していなかった、というような深い意味を、図らずも持ち合わせていることがある
後日、後年、それに気づくこともある
よしえもきっと、気づいている
わたしはそれを やっぱり勝手に、歌った
このアルバムの売り上げは、よしえの家族に渡される
ひとりでも多くの人に買ってほしい
私たちにできることを考える
どうにもならない、受け入れないといけないところから
わたしたちにできることを考えるのが人間のわずかな知恵だ
苦難は乗り越えられる
気持ちのありようは、変えられる
きっかけは、人それぞれいろんなところに転がっている
よしえちゃんの存在、今の状況も、わたしにとってすごく大きなきっかけとなっている
音楽家、芸術家、宗教家は、主にそれをやるのが仕事なんじゃないか。
歩んで行くのは本人だから、
きっかけくらいにしかなれないけれど
孤独な歩みではあるが、
孤独な歩みを、そばで照らす光があることを知ることはできる
それは、生きてこの世に生まれたもののみが得られる出会いである
なんまんだぶつ
「感謝しかない」というよしえの言葉が深く響く

よしえちゃん、まだまだ生かされてる。
よしえちゃん、まだまだ生かされる。
生かされてるうちは、生きてる。
生きてるうちは、生きてるよ!
よしえちゃんが今生きてる姿が、どれだけの人を励ましていることか!!

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2010.06.29

今日さらに

ヲルガン座にて
例の、絵描き歌をやろうかしら。なんて。
広島初登場なるか。

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2010.06.25

息もできない

もう10日くらいまえだが、
横川シネマで見た映画「息もできない」が素晴らしかった
こんなにいい映画が過去にあったか?と自分の貧弱な映画遍歴を問うても仕方がないが
私の中では、最高だった。
あまりによくて 帰りに駅から家まで遠回りして帰った
たいしたことでもないが
過去さかのぼって10年くらいおぼえがない
10年前はここに住んでいなかったが たかだか地元に戻って5年あまり
駅に出るときは、自転車か 車だ
たいてい大荷物
歩いて帰るってなんて優雅なんだろう
すごい贅沢
町の景色が ああ 美しい
この季節
この日は 普段より、いい靴を履いていた かかと高めの革靴
靴が変わると 歩き方も当然変わって そうすると顔つきも変わる
人は靴ひとつで、人格もかなり操作できる
表向きだけだが、その印象でそれなりに社会は成り立っている
だから注意もしなくてはならない 今日なにを履くのか?
映画がよすぎて、人に会いたくなかった
家族のもとに帰ったらまた 現実に戻される
しかし この映画の しがらみが また 家族
切っても切れない 家族との
ううう
ううう
思い出したらこみ上げてくる
ほんとに いい映画だった
主演の役者が、脚本、監督、編集でもある
わたしは はじめて見る人だけれど
パンフを読むと、ひとつ年下のようだ
やばい 同世代 いや、でも、そうだと思ったな
すばらしい
素晴らしいものに出会うと、とても元気が出る
素晴らしいものでも、やる気をなくすこともある
素晴らしくないものに出会ってやる気をなくすこともあるし
素晴らしくないものに出会ってかえってやるべきことが見えて晴れやかになることもある

「息もできない」はいろんな感情をひっくるめて 引き出してもくれ、慰めてもくれた

おわらないラスト10数分に、ほんとに感嘆した
ここでおわるんかな、と思う箇所か2回あった
でもまだ映画は続いた
あそこで終わっていたら ここまで尊敬しなかった
あそこで終わっていても 十分いい映画だったが
その先、を 見せてくれた数少ない映画
問題提起して突き放しておわるのは ままある
そこで終わらない この映画の素晴らしさ
現実を、その段階まで突きつけてくれて、ようやく 私は慰められた
そうだ その循環
容赦ない
そして人生はつづく

余韻は、風呂上がりもつづいて
缶ビールを片手に、汗を引かせに寝間着のまま川土手
まだ じーん としている

すぐにブログにかけば、まだ あと数日、上映期間が残っていたものを
いまさら書いたのでは もう見れないじゃないか
なんて不親切な情報なのだろう
ざまあみやがれ
とは 酔ってるときのうちの父親の口癖
ニュースをみながらよくそんな暴言をはきまくる
坊主として最低
ヤン・イクチュン監督。
「このもどかしさを抱えたままでは、この先 生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった。」

いよいよアルバムの録音にとりかかった。
「またおとしましたよ」以来 自分の中に抱えているものを 吐き出したい。
「二階堂和美のアルバム」「ニカセトラ」「solo」それぞれで、宿題をすこしずつ消化してきたが、私の場合は一作にすべてをこめるというやり方はできていない
それは靴を選ぶようなものかもしれない

宿題 と思うのは 次に進みたいからだろう
自分の中ではどんどん先に進んでいる しかし足下がおぼつかない感じなのだ
だから、宿題はある程度目に見える形でやっておかないといけない
不器用ゆえ
自分のためだ
ライブはその場で消えてゆく
わたしは声を出しながら聞いている
それを客観的に体験することは不可能だ
録音物は、みんなと同じ立場で接する権利というか可能性のような希望があって
フェアな感じがする

最近 気に入った鞄を買った
ずっと、もらいものを使っていたりしていた
あたためていたものはいつも、飛び入りに先手を打たれて後回しにされる
用が足るものがあるのに 新しいものを買うのは贅沢だと
しかし 贅沢は 時には必要なのかもしれない
心まで貧乏になってはならん
ゲゲゲの女房で水木しげる役の役者さんがそんな台詞をいいながら
貧乏なくせにプラモデルを買って作る
この数日 星野源くんの役、主人公の弟にスポットがあたっていて、長く出るから嬉しい 身内贔屓

それにしても「息もできない」という日本語翻訳はどうかと思う。
原題は「トンパリ」直訳すると「くそバエ」らしい
源くんのソロのうたには「くそ」がよくでてくる

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2010.05.22

あすのYSIG@広島

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2010.05.20

一期一会

先日、東京は面白いものがいっぱいで卑屈になるなんてこぼしてみたが
よくみたら、私の住む広島もなかなかである

なんせ、ANVILのライブがあった。ジャパンツアー3カ所が、東京、大阪ときて、なぜか広島!広島のイベンターさんが映画に感動したことによってもたらされた、われわれ広島住民の幸縁。楽屋にてまさかの記念撮影!

広島現代美術館で開催されていたウィリアム・ケントリッジ展もとてもよかった。木炭画によるアニメーションがすばらしかった。襲いくる眠気と戦いながら何度も仕切り直して食い下がって見た。ものすごく時間がかかったが、見応えがあった。

そして今週も広島市内はライブラッシュである。

明日21日は横川シネマの企画でマキタスポーツさん、
明後日22日はクアトロでわがレーベルメイト、ユアソングイズグッド!新しいアルバム『BAND』をひっさげてのワンマンツアー!いや〜待ってるよ〜。
来週26日はヲルガン座でASA-CHANGのタブラボンゴナイト!すごい。ヲルガンのあの近さでASA-CHANGのトーク&ライブが見られるなんて。
28日はトクマルシューゴくんもくる!こちらはもう席がないみたいだけど

前に、たまたま自分も金沢にツアーで来ていて、SAKEROCKのライブを金沢で見て、東京で見るとの金沢でみるのとまた違って、そのちがいはおもしろかった。

私たちは地方で待ってます。

どうしてこんなところまで来てくれるんだろう?ご苦労様です。旅がしたかったのかな?地方だからって手を抜かない?でも大都市で見れない感じが見れたら儲けた気がしないでもない。とはいえ満足して帰りたいのでよろしく。(見る側)

どうしてこの人たちはここに来てくれたんだろう?なにを期待して足を運んでくれてるんだろう?この人と次、いつ会えるんだろう?なにがひっかかって来てくれたの?これか?これか?う〜んと、これでどうでしょう?!わー!(やる側)

つぶやき。

上記ライブ会場にて、一緒に楽しみましょう!にんにん!!一期一会!!!!!!
nikanvil.jpgANVILと広島クアトロ 2010.4.22

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2010.05.13

タラと春

塩屋の旧グッゲンハイム邸に来ています
にかさやのワンサマーハイムの録音で味をしめたこの館
豆腐がおいしいこの塩屋

みなさんそれぞれに初心というのがあると思うんですが
初心にもいくつかあって
初心1 初心2
あれもこれも、まあ そういえば初心
初心に返って大衆音楽
初心に返って声明音楽
初心に返ってオーバーダビング

オーバーダビング 楽しいわ
ひとりでやると 楽しすぎて はまりすぎて 終わりがなくなって
やめる
というパターンに陥りやすいですが
ふたりでやると 倍でやるから時間は半分 アイデア2倍
あんまり悩まず OK OK

タラジェーンと録音をしています。
とても楽しいです
あしたは旧グッゲンハイム邸でライブです

福井の敦賀では 生音でライブ これもまた別の初心回帰でした
ピニョンピニョンの存在は また わたしを励ましてくれるものでした

日本海側

ここは瀬戸内

ん?太平洋? との境目?

グッゲンハイムの次は 町田に行って終わりです

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2010.04.27

ナメクジのように

めずらしく昼間にパソコンに向かい、音楽をかけながら文章を書こうとしているが
やっぱり難しい。音楽を聴きながら何かをするのはとっても難しい。
しかしながら4世代にまたがる家族と生活していると、3人くらいとの会話を同時進行で進めたりすることも結構あるので、だんだん聖徳太子化してくる 学校の先生などいかばかりか。

先日の東京、泊めてもらった友人宅のトイレの壁に貼ってあったいくつかの展覧会のチラシ、東京はやっぱりボコボコ面白そうなものが転がっていて、一瞬ときめいたりするが、すぐに卑屈な感情も湧く性分だ
そうは言いつつも、せっかくだからワタリウム美術館のジョン・ルーリー展に行った。
絵の感じがとてもよかった。でもそばに言葉があると、絵をまじまじと見る気分がなくなった。
意味はよくわからないのであまり心には響いてこなかったが、一番いいなと思った絵はポストカードにも図録にも載ってなかった。
おかしいなあと思ったら、3万円以上する限定図録に、限定版画として付いていた。げー と思ったけど、版画だしな、これはもしかして買うんでしょう私は、とか思いながらちょっと熱を冷まそうとショップの方をうろうろしているうちに、その付録の限定版画というのが本物よりも随分サイズが小さいので、これはない、と思ってやめた。代わりに「正義で地球は救えない」という本が目に入ってきた。
うわ、わたし今めっちゃ正義でものを考えてるかも、と思って手にとって、あとがきを読んでいたら「ほんとうの環境問題」という本の続編のようだったので、まずはそっちを買って帰った。

ワタリウムを出てすぐのおそば屋さんのおそばがおいしかった。東京はそば屋がたいていおいしくてすごい。これは卑屈にならずに単純に喜ぶ。別のテーブルに座っていた西洋人の男性2人が、日本語で会話をしていた。しゃべってる日本語自体は若干かたこと感があるものの、その声の音量や間合い、控えめな笑い方などが、ものすごく日本人男性らしくて不思議な気がしたが、外国に住んでいて、相づちとかが外国人ぽくなってる日本人はこういうことなんだろう、と納得した。

品川駅の新幹線のりばでレイ・ハラカミさんにばったり出会った。ハラカミさんと新幹線のりばでバッタリ出会うのは2回目だ。ほかにも、エゴ・ラッピンのよっちゃんと羽田行きの電車の中で会ったり、デルタのあやさんとロンドン行き飛行機の搭乗口で出会ったり、この一年以内だけでも意外とあるものだ。わたしの「脈拍」という歌のなかの「いつどこをふらつけば あの人に会えるのか」というのは、それなのにあの人にはなかなか会えないという気持ちを歌ったものだった、などと思い出した。バッタリ会うというのは、ドラマのようにドラマチックにはいかないが、意外とあるということで、希望を持ってもいいと思う。

ハラカミさんに「ライブですか」と尋ねたら、「ユーストで」と言っていた。
「ユースト?ってなんですか?」
「ユーストリーム。しらないか」
「ああ!昨日その言葉聞きましたね、昨日私が出たダブルフェイマスのライブもそれやってたと言ってました」
「今が一番おもしろい時期だから」
「ああなるほどそうかもしれませんね」
「ツイッターとかやってる?」
「いや、まあたぶんそのうち入会?します」
「あ、うん、入会料いるから」
結局ハラカミさんのそのユーストというのはあいにく見逃してしまったが
ハラカミさんのこういうことの鼻がいいのはさすがだ。

帰りの新幹線の中で買った本を読んだ。一年に一冊読むか読まないかくらい本を読まない私にしては、半分くらいまで読めたからましなほうだ。
寄稿した「真夜中」も読んだ。宗教特集と勘違いしていたが、信仰特集だった。
内心、なーんだと思った中で、ECDさんはびしっと宗教に触れていた。切れ味はやはりダントツで、悲しいくらい響いてきた。石田さんが文中触れられている宗旨では私はないけれども、宗教の中にいる自分にもむけられていないわけでもないので、ずっしりと手応えがあった。
寄稿の際、私がつい、依頼された文字数の倍以上の原稿を書いてしまったので、当然半分はカットされたわけで、しかしながらその作業は、アルバムを作る作業にも似ていた。自分の名前で発表される作品ながら、人との共同作業で客観性を練り込みながら仕上げていく点。それでも、目が痛くなるほど小さい字になってまで、なるべく残してくれた編集者さんに感謝している。カットされた部分についてはいつかまた折りにふれ、ここらへんで出てくると思います。
ところで、daily vitamineで取材いただいた死生観についてのインタビューは、アーカイブは残されず消えてしまったのかな?残念。私の探し方が下手なのかな?

「おばちゃんたちが・・・」というブログを書いてからもう10日くらい経ってしまった。
あの「翌日」、中国電力に電話をかけた。そしたら土曜で留守電だった。肩すかしを食らって、う~ん、じゃあファックスの文面でも考えよう、と思って考え始めたら結構やっぱり難しくて、代わりに寝床で漫画を書いた。私が言う漫画というのは、葛飾北斎の「北斎漫画」がいわゆる漫画じゃないみたいに、いわゆる漫画じゃなくて、ようは思いつきの手に任せて描くメモ落書きみたいなものだ。
枕元に紙がなかったので、転がっていたストッキングの台紙の裏表に描いた。それを翌朝印刷して「堂脈」で配った。ちょっとレイアウトを変えて4/24のライブにも持って行った。開場まえに、ばたばたしていてスタッフが捕まえられず、フライヤーの束の隣に置いておいたら、後から聞いたら、開場前に店の奥に仕舞われていた。

日にちを戻すが、土日をおいて平日になって、気を取り直して中国電力に電話した。代表電話にかけて「上関の原子力発電所のことで」と言ったら、女性のオペレーターさんが慣れた口調で「はい担当に変わります」と言って広報課というところにつながれた。生まれて初めて抗議の電話というのをしてみたのだが、もっと軽くあしらわれるのかと思いきや、一時間近く論議を交わした。ようは言いくるめる部署なのだなあと知った。冷静に話をしようと思うとまるで自分はインタビュアーみたいだった。「こども記者」になった感じがした。抗議はできても、こちらによほどの知識がないと、相手を言い伏せる反論は難しい。相手は説明会の口調で、向こうの言い分でこっちを納得させようとしている。
様々な問題点をひとつひとつ質問、抗議しているうちに、やっぱり一つだけ、これがために、やっぱり建てない方がいいとはっきりと言える点が見えた。
それは、廃棄物はくるんでくるんで地中深くに埋める、と決まっていても、
埋める場所が決まっていないということ。
今探しているらしいけれど、それが決まってもいないうちに建設するなんて、そんなばかな話が通るなんて、どう考えてもおかしい。今ニュースで話題になっている基地の問題も似ていて、やっぱり国の軽はずみな政策が原因なのだと実感した。

文部省が小学生相手にポスターコンクールを推進して、原子力が地球に優しいエネルギーであるとすり込んでいるサイトも見て、心底おぞましく感じた。

電話を終えて、こどもたちのポスターも見て、もしかして、私は、自分の町に原発が建つ、となったら、ここまで反対に燃えていただろうか、とふと思った。
私は、おばちゃんたちの30年の重みに突き動かされているのだと思う。
祝島の人たちの反対運動が、いかに少数派で厳しい選択であったかということを思い知り、それがまるごと無駄に終わっていくのが、心苦しすぎる。
私が日常生活を送っている間も、仕事をしている間も、あの人たちは、今日も自分たちの漁業や農業に専念できぬまま、海を守るために、将来のために、身を張って冷たい浜の地にナメクジみたいにへばりついている。「生活のため」ではもはやない。だって、彼らは生活さえ既に投げうっている。老後もなにもかもだ。運動家、活動家ではない。ただの島のおばちゃんがだ。
わたしにわからない難しい問題を、おばちゃんたちだって、わかっているわけではないと思う。
「ほんとうの環境問題」で池田清彦さんや養老孟司さんが分析したりアイデアを出してくれているような頭のいいアイデアや切り返しが、ここからでてくるわけもない。なのにやっている。ということは私のような頭のよくない人にもできる。というかやらないといけないのかもしれない。
ああ、また正義でどうにかなると思っている そうではない
うーん、頭のいい人が考えた、よさそうな案が、どうして国に通ってないのでしょうか??どういうことなのでしょうか??
大人になると勉強しないといけないことがたくさんあるようで、やっぱり若いうちにしっかり趣味に興じておくのは大事なことかもしれない。

漫画を添付しておきます。

原発にか漫画01おもて.jpg

原発にか漫画01中面.jpg

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2010.04.22

堂脈vol.5を終えて

18日の堂脈vol.5にお越し下さった皆さん、ありがとうございました。
いつのどのライブも、来てくださる方々にはほんとに心からありがとうと言いたいです
でも自分で企画をすると、ほんとにその気持ちはひとしおで
なんというか、こうやってこれまで皆さんはイベントを組んで呼んでくださってたんだよなと思うと、過去のいろんなイベント全部が、非常に生々しく思い出されてくるというか
そんなことを考えるのも歳なんでしょうかね

昨年3月、地元広島で始めたこの主催イベントですが、今回は特に、通常のライブの際に一緒に行動する東京のスタッフや音響オペレーターさんとかが一切かんでなくて、ほんとに会場の横川シネマさん、ケータリングのカフェネコバコさんはじめ、地元で知り合った友人知人たちの協力、いや協力というよりは、もはや主体となって動いてくれた実感を得られた回で、フライヤー配ってくれたり、ポスター貼ってくれたり、ラジオでの宣伝やら、口コミやら、機材の調達やら、DJやら、物販やら、撮影やら、打ち上げの準備やら、ものすごいフォローしてもらった。印刷物やグッズも、地元のデザイナーさんと細かいやりとりをして仕上げてもらった。誰に頼んだらいいのか、迷っているうちにしぼんでしまうことも多いのだけど、しぼまずにやる勇気がでてきた。そして、仮にゲストのアーティストのことを知らなくても、二階堂和美に免じてか、横川シネマを信じてか、集まってきてくれるお客さんがいるっていう、それでようやくこのイベントの意味というか、役まわりというか、何でこれをやろうと思ったのか、というようなことが形で見えたような気がしてほんとうに嬉しかったです。
これまでの4回も、それは同じで、ですがろくにお礼を伝えられていなかったと思うのでごめんなさい。ここであらためてお礼を申し上げます。ほんとに、ありがとう。お客さんにも、演奏にきてくれた音楽家たちにも、スタッフにも。

今回、特にアンケートをたくさん読ませていただいて、その思いが強いのかもしれません。
いつもは感想を直接聞かせていただくことは少ないのですが、こうして読ませていただくと、予想以上に励みになるものですね。自分でも驚きます。ありがとうございます。
今後の堂脈も、いろいろ計画があがっております。ご期待下さい。

シネマダブモンクスさんとの最後のセッションが、今回のハイライトだったなと、自分では感じました。いいようのない気持ちよさへ陶酔したひとときだった。

このところ、東京やらあちこちへ引っ張り回しているピアノのみどりちゃんとは、日を追うごとに私が図々しくなってしまってあれこれわかりづらい注文を出しまくるのですが、不思議なくらい応えてくれるもんだから、これまで火をつけずにしまっておいた火種に飛び火していく感じ、それらが形になり始める手応えがあって、希望に燃えるってこういうことか、という感じがしている。

それにしても、「お客さん」のことをなんと呼んだら一番しっくり来るのだろう?
オーディエンス?の訳って「聴衆」?ってなんか、「衆」ってなんか十把一絡げ感ありすぎるし、「リスナー」ってラジオっぽいし、「観客」ってやっぱちがうし、「客」っていうとすごく金銭関係が見える感じがする。無料の時だってあるでしょう?来場者?なんかそんなに細かくわけなくても、なんかあってもいいような気がするんですけれど。「聴いてくださる方々」といちいち言わないといけないのがもどかしい。

そういえば、newsにも載っけてもらいましたが、「真夜中」にロングエッセイなるものを寄稿させていただきました。まだ現物を見てはいないのですが、3月いっぱいかけて取り組んだ結構ボリュームのある原稿です。かなり個人的なことをいろいろかかせてもらいました。恥ずかしいくらいですが、せっかくなので是非読んでいただきたいと思っています。

地元で云々、の思いとも繋がっているな。

デリバリーのセレクトCDも気に入っている。偏っているかもしれないけど、普段あんまり歌ものは聴かないのでこういう感じです。ぼんやりした昼間とかにいいかな。

あと、キッズチャンネルの「あたらしいなまえ」という歌も、かなり気に入っています。とってもいい曲なんです!4月のテーマソングなので、もうすぐ終わってしまう・・・。うちはCS見れませんが、見られる方は是非フルコーラスで聞いてください!試聴も、意外に長くは聴けますが。こちらのnewsから飛んでください。

いろいろ、すこしずつ書いていきます

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2010.04.17

おばちゃんたちが・・・

どうしよう
わたしがうかうかしている間に
一緒に歌って踊ったあのおばちゃんたちが
どう見ても虐げられている
うわーん どうしよう
どうしたらいいんだ
あした中国電力に抗議の電話をかけよう
「インターネットで現地リポートの写真を見ました
あんなやり方はおかしいと思います」
何十回も
ファックスも
もっと頭のいい方法を教えてください
たのむ。ca3a0287.jpg
わたしにはわからないよ
知恵を貸してください

島根の原発では
3月、123カ所の点検漏れが発覚した上、
数日前、その責任者が自殺(?)している
なんて不気味なニュース
絶対やばいやんか

どうしてこうなるのだろう

そういうあんたも電気使うんでしょ?とかいう切り返しは今別問題

「東京原発」って役所広司さんやら吉田日出子さんやらかなり豪華キャストの映画を
こないだ再上映でみたのだけど、あの映画、是非多くの人に見て欲しい。
2005年に作られた映画。
「東京原発」オフィシャルサイト

私は今、週末のイベント「堂脈」のことやらアルバムsoloのことやらを書こうと思って
ネットを開いた。
でも上関原発反対の署名を集めさせてもらったお礼や報告も書いてなかった、と思って
みなさんからいただいた署名は、3月末〆で確かに送りました、ということ、
ライブ会場各地で署名してくれた皆さんにほんとにありがとうという感謝と
北海道の水玉さがしのよしこちゃんが100人以上もの署名を集めてくれた感動、
直接送ってきてくれた友人たちへもありがとう、と伝えたい
でもそのまえに、現状はどうなっているのか最近の動きを知らないままだ、とハッとして
探してみたらこんなニュースにぶつかってガーンとなっている今

もうなにが大事なのかわからなくなってくる
どうしよう

きちんと情報をあつめることと、実働することとはどちらが大事なのか?
実働とは何を指すのか?

時間をかけてる暇がない・・・
この反対は、まちがってない、とわたしは信じている

まずは中電に電話じゃないか、というのが今夜の判断。

ショックを受けた情報源はここでした
http://iwaijima.jugem.jp/
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/

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2010.04.15

時は流れている

東京に5泊して今日帰宅
駅のプラットホームに入る直前、新幹線からマツダスタジアムが見える
試合をしていた
ゴールデンタイムに帰ってくることもあまりなかったんだろう シーズンもあるし
試合をしている最中にここを通るのはたぶんはじめてだった
新幹線客にアピール 「0対3」 ヤクルト戦
客席ガラガラやんか、ほんまにこれ試合中かいな
でもなんとなくナイターやってるリアリティがよかった
在来線に乗り継いでさらに小一時間揺られた後
タクシーに乗ったらやっぱりラジオ中継
運転手さんに「何対何になった?」と聞いてみようかとよぎったけどやめて降りて
家ん中入ったら、おとうさんが焼酎飲みながら見よった
テレビ画面では、ちょうど「5」という数字が回転していた
お!進んでる
時間は進んでいる
時は必ず流れている
と思った
あと1回 というところで中継が終わって お父さんが寝に帰っていった
消されたテレビのスイッチをなんとなくもう一回入れたら
ジムキャリーの映画がはじまるところだったのでつい観た
ジムキャリー
やっぱりジムキャリーだよ
やっぱりジムキャリーだ
ジムキャリー
惚れ惚れする
carp-kun.jpg

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