『solo』というアルバムは、
ちょうど一年前の12月に作った。
録音は、一日。
師走。
東京に行く用事の、前2日ほど大阪に寄って、
いつものスタジオlublabで録ってもらう予定だった。
それが、その日自宅で朝起きたら喉が痛くて
一日キャンセルさせてもらって
耳鼻咽喉科に行って強力な薬をもらって、
さあ残る1日でがんばるぞと思って起きた朝、近しい方の突然の訃報が入り、
あれこれの予定をずらしてもらう電話をあちこちへかけ、
午前中、お悔やみと臨終勤行を勤めてから大阪へ。
その晩から翌日の昼までで7曲録り、
聞き返す暇もなく戻ってお通夜にかけこみ、
すぐに着替えて広島空港から最終便で東京に向かい、半日ずらしてもらった東京での用件に合流する予定だったが、積雪対策用の道路工事をしていて高速道路が大渋滞。
途中何度もレーベルスタッフに電話をかけ、遅れるけど行くからと空港に連絡しといてと頼み、
死ぬかもと思うようなスピードで車を走らせ、
離陸時間ジャストにカウンターに滑り込むも、
当然ながら、最終便は既に飛び立っていた。
方々に迷惑をかけてまでお通夜を勤めたいと願ったわがままがあだとなったことに、
いろんな感情があふれてきて空港カウンターでへたりこんでしまい
哀れんだ職員さんがホテルを予約してくれ、タクシー乗り場まで付き添ってくれた。
翌朝の便で東京に行って平謝り
その翌日、広島に戻って、自分のイベント
イベントそのものより、15人もうちに泊まって行ったことが驚異だった。
気持ちを切り替え、鴬谷の劇場でゲスト出演するショーの演目を練習&本番。
その間にミックスを仕上げてもらい
浅草のホテルで、パソコンに送られてきた音源をイヤホンで確認しただけで、
その翌日マスタリング。
マスタリング・スタジオも、クリスマスイブのその日だけ空いていた。
そのスタジオでの待ち時間で
ジャケット案を相談
その場で大阪のカメラマンに電話をかけ、
しあさって、空いてるか? たまたま空いてる
スタジオは、空いてるか? たまたま空いてる
と、とんとん拍子で話が進み
その帰りの足で再び大阪に寄り写真を撮って
素材揃えは終了。
ただでさえ慌ただしかったはずの10日余り。
内心無理と踏んでた強行スケジュールが不思議に遂行できた。
そんなに急いたのには、具体的な目的があった。
今年1月、スコットランドの町グラスゴーで開催される、ケルト音楽の祭典に呼んでもらっていた。
それにあたり、持って行くのにこれというCDがないから、ちょっと臨時に作ろうと思う、とカクバリくんにもちかけた。
これまでも、ライブ会場でCDを販売する際、
特に海外で、
「今日のあなたのライブ、とってもよかったわ。今日のに一番近いのはどれ?」
と聞かれて、それに相当するのが無い、という場面に出くわすことが頻繁にあった。
確かに、10年も弾き語りでやってて
そういう音源がないのは不自然だった。
「一番近いのは、U.S.tourのBOXの、disc2です。」なんて言ってみても
そんなバカ正直な答えを求められているわけではないのもわかっていたし
いつも困っていた そんなのが何年も解消されぬまま後回しになっていた。
今回の海外公演を機に、勢いでそれをやってしまおう、と思った。
2009年という年は、『ニカセトラ』のツアーを弾き語りで回ることから始まった年でもあり、弾き語りスタイルへの情味を取り戻しつつあった。
6月に、くるりトリビュートの曲の弾き語りをlublabで録音した感触もよかった。
が秋口から、neco眠るのゲストでハンドマイクのみでステージに立つ機会が増えたり
ピアニストのみどりさんと出会ったことなどから
また弾き語りから遠のきそうな予感も出てきた。
これから、弾き語りはあまりやらなくなるかも
弾き語りのアルバムを作るなら、今しかない、と思った。
ライブでやっている曲を「あれはどれに入ってる?」と売り場で問うてもらっても
それらがちゃんとアルバムとしてリリースされるには、わたしのペースでは少なくとももう一年はかかる。
やっぱ作ろう。弾き語りの、とりあえず。と思った。
時間はなくても、ないなりに。
ライブが一本よけいに入っただけ、と思えばできる。
2009年12月の、とある一日のライブ盤みたいなもの。
もっとうまく歌えるのになあ、
と思う箇所も多々ある
が、そんな不完全な姿を、
当時も今もライブではお見せしていたわけで
そこで販売するものだから
「今日のライブに
一番近いもの」
としては、
まさにそれである。
そういうものをやっと存在させることができた。
が、それがライブ会場だけでなくて、お店でも販売されることになった。
もっとじょうずに歌えただろうに と やはり思ったが
それを待っていたら、多分この一枚は出せていなかった。
2010年に入り、ますますギターを弾かなくなった。
今やれと言われても、やっぱり上手には弾き語りできてないだろう。
だから、二階堂和美のソロなんていうのは、あの程度なのだ。
あれで、自分に見切りがつけられて、その先に進めた。
だからやっぱりあれは出してもらえてよかった。
胸が締め付けられる思いがするので、
まだ両手で数えられるほどしか聴いていないが
まぎれもなく、あれは自分だ。
曲も、自分で作詞作曲したものだけにした。
『二階堂和美のアルバム』を作っている時、
同じ収録曲を弾き語りバージョンで出そうという話も進行していて
でも『ハミングスイッチ』のリリースが浮上して、その話はどこかへ行ってしまった。
タイミングとはそういうものなのだろう。
そういうのがたくさんある。
乗りかかったときにやっておかなければ、
またおいてしまう。
人生はきっとそれの繰り返しだ。
『solo』では、ジャケットもこうしたいというイメージを珍しくはっきり持っていた。
このスタジオlublabの、床の市松模様と部屋の配色、
コントロールルームからモニター映像でみるその画が
オランダの画家、フェルメールみたい と
5,6年前、はじめて訪れた時から思っていた。
いつか、この画をなにかに使いたいと思っていた。
カメラマンの井上嘉和さんがそんな写真を撮ってくれ、デザインの佐藤穣太さんがますますそれらしくしてくれた。
さらにレーベルオーナーのカクバリくんが一回り大きいサイズのパッケージにしてくれ、
当初の海外盤より立派な装丁で日本盤が完成した。
立地も趣味も、そもそもスタジオの主とフェルメールって
どうやっても接点のない感じで、むしろおかしいくらいなのに、
いちいち、どことなく、重なる。
というのをlublab出入りの人は誰もとりあってくれないので、
写真をちりばめてみました。
どうでしょうか。
大阪日本橋。電気屋街の一本はずれ。
歌詞カードの裏の写真だけは、もろこのへんっぽい。
あの写真の、前後コマはこんな感じ(すべて井上嘉和さん撮影)
今、新しいアルバムで
私はまだ一曲もギターを弾いてないし、いまのところ弾く予定も無いけれど
あのへたくそなギターでも、あれが無かったら
今のように歌えてもいなかっただろう。
他に誰もいなかったから、やむなく編み出された芸風もある。
足りないものだらけの中で、
あるものは、自分の身体とアコースティックギターのみだった。
持ち運びに便利、持ってる人が多いから借りられる、
そのポピュラーさでアコースティックギターにお伴のやり玉があがって
10年以上やってるはずなのに、まだFやBさえ押さえられていないし
スペアのギターも持っていないし
時には宅急便で送ってしまうし
新幹線の網棚に忘れたこともあるし
そもそも「弾き語り」という言葉も好きではなかったし
フォークミュージックもほとんど聴いたことがなかったし
ほんとに、弾き語りを名乗るのもはばかられて年月を過ごしてきましたが、
でも、ギターを抱えていないと出ない声もある
歌いたいほうが強くて、ギターには悪いことばかりしてきたけれど
人前で歌うということを続けさせてくれたこのスタイルに
今、お礼を言いたい。
そしてやっぱり、アコースティックギターの響きは好きだし
シンプルなものが好きです
足りないくらいが、好きなのです
わたしにとって、この『solo』という一枚は
ものすごく大きな節目としてあります。
カクバリズムさん、出してくれてありがとう。
そして、何の宣伝も、インタビューも、オビもシールもついてないこの『solo』を
手に取って聴いてくださった方々へ
扱おうとしてくださったお店の方々へ
聴こうと、扱おうと、思ってくださったその、
なんでしょうか
ほんとうに なんであったとしても こればっかりは
伝えるのに一年経ってしまいましたが
心からありがとうという気持ちでいっぱいです。
ほんとに、ありがとうございました。
新しいアルバムは
『solo』に引き続き、lublabのエンジニア陣、カクバリズム、
そして先日のワンマンの親愛なるバンドのメンバー+Max土居さん(Perc)らとともに取り組んでいます。
『solo』の中の曲もいくつか重複します。
jazzやsoulの曲が、何度もアレンジ違いで録音されるように
楽しみにしていてください
と
自信を持って言えるアルバムにします。
なんとか、リリースされた今年中に書けました!
って、振り返ってるのが2009年の出来事・・・
なんか間違っているような気がする