二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2011.12.27

緊急!大阪市民投票!

うう にじみの旅のいろいろの思いを書きたい。
感動、感慨に浸るもつかの間、
家に帰るとどっと日常が押し寄せる。
新聞を開けば見過ごせない記事がたくさん。
けれど、これが日常だったー!と。
こういう生活の中であのアルバムをつくったんだったなーと
なんだか2年前に戻された感じがします。

それでもちょっと時間がかかるかもしれませんが
にじみの日々を振り返ることをしたい。
それはほんとうに、私の宝だから。

ただ、とりあえずそれはまたにして、今日は、
とりいそぎこれをお知らせしたいのです。

東京都民の皆さん、大阪市民の皆さん
とりわけ大阪市民の皆さんへ、
大阪市「原発」市民投票というのをご存知ですか?
原発を稼働させるかさせないかの決定を
政府に任せるのではなく、市民投票で決めることにしましょうよ、
そういう条例を作るための署名です。

大阪「原発」市民投票、
東京都「原発」都民投票、
そして全国版の、「原発」国民投票というのが一連であって
ちがいはここを参照してもらって、
都民投票/市民投票Q&A
国民投票の賛同者のお名前なんかもここを参照してもらって
みんなで決めよう「原発」国民投票

ともかく東京のんは2月9日が、大阪のは1月9日が締め切り。
1月9日って・・・
なんと、大阪はあと数日しかないのです!

大阪のは大阪市民にのみ、東京のは都民にのみ、署名の権利があります。
私のような県外の人はもちろん、県内の他の市の人が署名しても効力はなく、
大阪市民の方のみが対象です。
いつもかつもやっている署名じゃないです。だれが集めてもいいわけでもない。
私は、署名を集める役としてがんばってるピカからこのことを教えてもらいました。
1月9日が締め切りだけど、集約の手間考えると
年内に集めて提出しないといけないみたい。

このプロジェクトの詳細、署名できる場所など、こちらをご参照ください。

いつも思うんだけど、世論ってあてにならないな、ということ。
だれもかれも、流されやすいもの。誰もが熟考して答えを出せてる訳ではないし
そんな状態で投票する選挙は、いつも危険をはらんでる。
陪審員制度だっておかしいと思っている。
だから市民投票とか都民投票とかも、怖い面も持っていると思う。
しっかり考えないといけないから、めんどくさいって思う人もいるかもしれない。
だれの何を信用して国会議員や政党や知事や市長を選んでいいか、
罪をどうさばいたらいいか
それを判断するのはほんとに難しいけれど、
原発が必要かどうかだけは、少し調べさえしたら、
答えは明白だと思う。
正常に稼働してもたかが40年しか寿命のない施設に、
気の遠くなるような巨額を投じたところで
どうにも処分のしようのない放射性廃棄物を必ず生んで、
もしもの事故が起きたときにはふるさとも希望も大地も空気もなにもかもを奪って
それがどうして容認される理由があるのか、
わたしにはやっぱり全くわからないです。

いま稼働している原発には、どうしても巨額を投じてどうにかする必要があるけれど
ちょっと目を離すと再稼働とかの話が浮上したり、
気が狂ったのかと思う収束宣言があったり、
政治家の人たちの判断はとても恐ろしい。
私たち国民の一人一人が、監視してないと、
どういうわけか、少し先の将来のことも考えられない人たちがおかしな決断を下す。
人は血迷うもの。
だから、うーん、何が必要なのかしら。
仏教。といいたいところだけど
ここでは、まずは署名です!
自覚。
私たちの明日は、私たちが担っていく。

政府をあてにしていても何も進まないから、と自分たちで動いている被災地の方々。
私たちも、そうではないか。
自分たちで動く。
何もできないわけじゃない。

明日にでも、行ってほしい。まずは署名!!
明日が無理なら明後日。
大阪市民のみなさん!!

都民のみなさんも!

いまお伝えしているこの署名は、
たちまちに原発への賛否を問う署名ではありません。
自分たちの投票でそれを決められる可能性だけ、まずは作らないと始まらない。
その可能性は、ひとりひとりの署名で得られる。
どうにもならない汚染物質や天災とは違って
署名をしたらどうにか変えられることもある。
自分たちで決められる可能性さえまず作れたら
もうすこし一人一人が考える時間はあります。
署名をしなかった、知らなかった市民、都民の方々に伝える時間も。
可能性はまずは知った人で作るしかない!
それにしてもあと数日しかない!うー!!みんなどのくらい知ってるんだろう?!
あなたの周りの人をさそって、まずは署名。

自分の考えを、すこし前に進めるきっかけになってくれたら
私自身もそうであったように
願います。

教えてくれたピカ、ありがとう。

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2011.12.23

30/30

いよいよ 明日が最後です。もう日付変わって今日ですが。

みなさん、ほんとうに、今日までありがとうございました!!!

「にじみ」

もう 終わり
このまま笑顔たたえて
涙など見せず 最後を飾る

踊り 歌い 悩み 迷う
あちらこちらにぶつかりながら

ほとばしる思い
やり場のないほどに
もえあがり わき上がる この情熱は
まだまだ とまらないのに

眠りにつくまで
残された時を
涙流しても
輝いていたい

幕が閉じても
お腹すいても
歌い続ける
声がかれても

にじむ涙は
希望の泉
あしたへと続く
にじみ続ける

にじみ続ける

にじみ続ける

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2011.10.13

にじみバンドメンバーファイル5: 黒瀬みどり

そして。ピアニスト、黒瀬みどり。
みどり岩木.jpgわたしの住む家から車で20分位のところに住んでいる、最も近くのメンバーであるとともに、場所のみならず、信頼関係としても世界中でもっとも近い音楽仲間。
2歳からピアノをはじめ、幼い頃は作曲家を目指していたらしいが、音大系の雰囲気が無理でその線から離脱して老人ホームや施設でのボランティア演奏とお酒屋さんのバイトに従事していた。現在は一児の母。ずっと広島在住。
2008年夏、母の知り合いだからということでしぶしぶ出演した、宮島トライアスロン大会前夜祭。私が入り時間に現場に着いたら、地元の和太鼓のグループが先にリハーサルをしていた。そこの大将がみどりさんを指差し、「この子はできる子じゃけえ、一緒にやったらええ」とかなり強引に言うので、じゃあ、とその日やろうと思っていた「365日のマーチ」の譜面を渡してみたら、つるつるっと弾いてくれた。おろろ?ってことで「幸せハッピー」「あなたと歩くの」のコード譜も渡してみたら、コードしか書いてなかったのにそっちもつるつるっと弾いてくれた。なんで?知らんやろこの曲?しかもその目が輝きすぎててヤバかった。瞳孔が開いたままキラキラしていた。話してみると音楽はもっぱらボランティアが多く、普段は家族の介護をしているという。ばあちゃんの介護をしていた私は妙に親近感がわいた。
その1年後、これもしぶしぶうけた地元の極小納涼祭を前に、困った困ったとほざいていたら、母が「あの時のみどりちゃんも出るよ、納涼祭でもあの子に弾いてもらったらええじゃ」と公民館のサマーコンサートのチラシを差し出した。演目に「港町十三番地」や「Top of the World」とかあった。私よりも11歳も若いのに、なんでそんな古い曲を知っているんだろうと思いながら見に行ったらすごくよかったのでその場で口説いて、その後に続く。

みどり立誠.jpg彼女がいなかったら『にじみ』はなかった。彼女の存在が、私に火をつけた。

レコーディングの段取り開始と同時期に妊娠が発覚、お腹の子とともに着手記念ライブやレコーディングをこなし、マスタリングの翌日に予定日よりも半月も早く出産。産後、彼女と赤ちゃんが落ち着くのを待って、ようやくスタートするこの”にじみの旅”なのです。

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2011.10.13

にじみバンド メンバーファイル4:山村誠一

続いては、にじみのバンドのバンマス、山村誠一さん。
ベンチの山村さん02.jpgスチールパン奏者としても、パーカッション奏者としても一流。「PUSH DOWN」ではサックスも吹いてもらっている。楽器演奏がマルチなだけではなく、ツアーの仕切りも、おいしいご飯屋へのいざないも抜群にうまい。
ソロでの演奏活動の他、Rustic pans、NATIONAL JAM’S、さえずりな夜、また、わたしもアルバムに参加させてもらった40人超え大編成のワンハーツ・スチール・オーケストラなどなど、数々のグループを主宰として率いるリーダーでもあり、CMジングルやテレビ番組のテーマソング、著名な方々のバンドメンバーなど、サポートされてるものをあげれば枚挙にいとまがないほどたくさんの演奏活動をされている。また小、中、高での学校公演や、大阪、兵庫、高知とそれぞれにスチールパンの教室を持って演奏者を育てることにも力を注いでいたり、まさに音楽で生きているし、音楽に生きておられる人。大阪在住にしてこれだけの幅広い活動を成し遂げていることは、簡単なことではない。
誠一さんニカイラスト.jpgこんなベテランと私とは、普通だったらなかなか接触しないところだが、出会いは沖縄、”アサイラム”の2008年へ出演した際。那覇空港へたくさんのミュージシャンが続々と集まる中、ひときわ目立つアフロヘアー(天然パーマ)のコロコロしたキャラっぽい人、どう見てもおもしろい音楽を奏でそうなミュージシャン。主催者の方に紹介してもらって知り合いに。バンバンバザールのゲストミュージシャンとして出演されていたのが、もうすばらしく楽しく、すばらしくうまい演奏。うわー!これがプロの音楽家かー、と思った。直後、楽屋で名刺交換ならぬCD交換をし、それからの縁。
山村さん03.jpgにじみのアルバム自体は、参加してもらっている曲は多くはない。けれど、参加してもらっていない曲にも鶴の一声をたくさんたくさんもらった。アルバムを作るにあたり、当初は私が個々の方々に声をかけ、曲ごとに点在していたものを、「バンドにしましょや」とまとめてくれたバンドマスター。山村さんのその一声がなかったら、このアルバムは決して現状のようにまとまってはいなかった。アルバムを一つのバンドでアレンジするのはまさに私の理想の形だった。図らずも自然な流れで新しいバンドが生まれ、そのバンドとともにこのアルバムを作れた。願ってもなかなかできずにいたことが叶った。
今回の”にじみの旅”も、山村さんの馴染みで紹介してもらったお店が多い。こういう形のツアーになったのも山村さん流に習った。アルバムでは参加してもらっていない曲も、ライブでは一緒に盛り上げてもらいます!
今年のアサイラムへ、ひとつのバンドとして行けることは感慨深い。

出演直前のバンドのかけごえは、山村さんの「にじみましょっ」。
こういうの、したことなかった。人生初体験。
感動的な体験をさせてもらっています。

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2011.10.12

にじみバンド メンバーファイル3:ガンジー

明日の初日に合わせ、連投します!
続きまして、大穂とのCINEMA dub MONKSの相方、ガンジーさん。
を閉めてくださいガンジー.jpg大阪出身、沖縄在住のコントラバス奏者。身分証明書がこれしかないということで、いつもパスポートを持ち歩いている。CINEMA dub MONKSとしての活動の他、沖縄のバンドelement of the momentのメンバーでもあったり、普段は”ガンジー西垣”として、ジャズ・ミュージシャンとして夜な夜なベースを弾いたりしているはずだったが、この数年はあちこちに呼ばれてほとんど沖縄にいない状態。
ガンジーさん01.jpgガンジーさんと出会ったのは、わたしがCINEMA dub MONKSの「永遠と一日」に感動して(曽我大穂の紹介の項をご参照ください)、地元広島で主催しているイベント”堂脈”へ呼ばせてもらった時。このときのリハーサルを聞きながら、客席で一緒に座ってみていたみどりさんに「この人にベースを弾いてもらおうと思ってるんだけど、どう?」と尋ねていた。まだ一緒に音も出していなかった時だったが、この人に頼むしかないなあと思った。
始めてスタジオに入った時、渡した曲の歌詞をみて、この人はどうだよねこうだよねといちいち味わってくれたのが新鮮だった。みどりさんがやはりそうだが、案外そういう人は少ない。久しぶりに曲を書き、自信のない頃のこと、そういう反応は嬉しかった。さすが大穂が物語をつくる音楽の相方に選んでいるだけある、と思った。
『にじみ』では、みどりさんの次に最多出場。レコーディングに立ち会ってくれた時間でいえば、私とエンジニアチームの次に長い。テイク違いでどっちにしようか迷っている際にも付き合ってなんじゃかんじゃ言ってくれた。前歯がないのと、笑いながらしゃべるので、実は言っていることの半分くらいは聞き取れていないが、今のところあまり問題はない。
下は、先日、宮島フェスタデラマの際の、山村さんによる記録写真。
ガンジーと鹿20110917.jpg
鹿と山羊? 鹿とダライラマ?

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2011.10.12

にじみバンド メンバーファイル2:曽我大穂

ちょっとあいだ空いてすみません。
お次ぎはフルート、ハープ、ピアニカ、テープレコーダー、などなどの曽我大穂。
ダイホ.jpgガンジーさんとCinema dub Monksというユニットを中心に活動しつつ、ソロとしても、ハナレグミのサポートや、いろんな人とのセッションもやっている。
「男はつらいよ」好き。ダブモンクスをはじめた頃は沖縄に長く住んできたらしいが、若い頃から旅癖があるようで、スペインにも半年くらい住んでいたりもして、現在は東京浅草在住。奈良出身。
大穂のことは出会う何年か前から、共通の友人であるmama!milkの恒輔さんから、親愛詰まりまくりの「アホの大穂」として話を聞かされていたので、私はもう、mama!milkのお二人がおつきあいをしている人に間違いはないという定説をもっているもんから、はじめて会ったときに「あなたがアホの大穂くんですね!」と最大限オープンマインドな挨拶をしたら、ちょっと怪訝そうな顔をされ、あ、そりゃあそうか、失敗したと思ったが、数時間後ステージで犬の鳴き真似合戦のような演奏をしたら打解けることができた、とそんな出会い。
CdM堂脈.jpgそれから半年くらい経って、シネマ・ダブ・モンクスの「永遠と一日」というアルバムを聴いた。ちょうどその時わたしには、書きたいがなかなか書けずにいた手紙があった。ペンを進めるのにふさわしい音楽はないかと自分のCDの棚を見渡し、いくつかをかけてみたが全然だめだった。
eien_line.jpgそんなときこのアルバムをかけてみたら、驚くほどぴたりときた。ああ、わたしが欲しかったのはまさにこんな音楽だった、と。音楽かどうかわからないが、いまこの現状から連れ立ってくれる手助け。シネマ・ダブ・モンクスは、物語を見せるインストユニット。自身のレーベル名も「Monogatari」だ。すごい。ロマンチックすぎないか、と一見ビックリするが、彼と話していると自然と話が飛躍して続いていくのは、その世界に連れ出されているということなのだろう。
『にじみ』への参加は、当初「女はつらいよ」をみどりさんとガンジーさんとトリオでやってみたときに、これはフルートがほしいね、じゃあ大穂にやってもらおう!ということで声をかけたのだったが、アルバム一発目の音が大穂の吹くベースピアニカとなるほどに、結局他にも多くの曲で参加してもらった。かっこいい音楽をやっているかっこいい人のはずなのに、「説教節」とかで笛を吹かせていて、ダブモンクスのファンに怒られそうだと思いながら、大穂のそもそもの和物好きの資質を見込んでにじみバンドに巻き沿いにしています。

彼が今どこにいるのか、最新情報は大穂のブログかツイッターで。

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2011.10.07

にじみバンド メンバーファイル1:まるむし

まずは一番古い付き合いのこの人。まるむし。
まるむし011.jpg
大阪在住。バイオリニスト。赤犬、みにまむす等で活動。作曲、アレンジもいい仕事をする。NHK教育の「ストレッチマン」では”遊び楽団みにまむす”として出演中。
実は某大手電機メーカーのエンジニアで、課長さんでもある。ので土日しか動けない。そんな中でこんだけあほなことをしている頼もしい同志。
101029sman1.jpgのサムネール画像まるちゃんと始めて会ったのは、2005年くらいかな?渋谷クアトロであった赤犬のイベントに呼んでもらったのが最初。わたしの演奏の直後、物販に走って買いにきてくれたのがまるむしくんだった。

以後、彼と二人でやったライブ音源をCDRで限定販売したこともあるし、
『くるり鶏びゅ〜と』での「宿はなし」も彼とのデュオで録音した。
何かっていうと「あ、まるちゃんとやろう」ってなるミュージシャンで友人。

一昨年も、地元の体育館で市民のためのコンサートをしてくれと地元のおばちゃんたちに頼まれたとき、助けて!みにまむす!と呼んだら参上してくれた。

まるさん02.jpgのサムネール画像ポップス、歌謡曲、アイドル系のアレンジにおいては特に、いわずもがなの演奏をくれる。
「いつのまにやら現在でした」や「お別れの時」の前奏のフレーズは、彼に弾いてもらいたいと思って作った。
「Blue Moon」は好きなように弾いてもらった。フランスのオカマみたいなムードたっぷりのソロに、レコーディング中、良すぎて何度も吐きそうになってた。おえーっともだえるくらい迫りくる情感。
そして「めざめの歌」。

この写真のような顔つきでいつもにやーっとこっちを見ながら絡んでくる。
歌と一番近いところにいてくれる音。

“にじみの旅” 全国一覧詳細こちら

みにまむすライブ

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2011.10.06

にじみバンドのメンバー紹介をはじめます!

さて!!
いよいよ、”にじみの旅”まで一週間を切りました!
7月6日の発売からまだまだと思っていましたが、

発売翌日、動員数でいえば武道館を超えたほぼ日刊イトイ新聞さんでのユースト、
梅田/新宿でのインストア、
ふちがみとふなとさんとの6年ぶりのツーマン、
バンクーバーでのにかさや、
8年ぶりのアメリカツアー(スイートドリームスの福田さんの日記)、
その前の日本でのタラジェーンとのツアー(同に上じ)、
東京最スカムと思われる算数塾、
波の音にミュートされながらの海の家ブルームーン、
半年ぶりの再会が当日のリハだったにじみバンドでのNHKふれあいホール、
広島代表を勝手に背負って参加したプロジェクトFUKUSHIMA、
このへんはカクバリズムの社長の日記
台風直撃の京都立誠小(libraryにライブ映像有)、
私の出演時だけ晴れて晴れ女説を打ち立てたフェスタデラマ、
翌日の地元での敬老会をはさんで、
2日前の晴れ女説をバッサリ覆す豪雨に見舞われたスチャダラそれぞれの秋、
このへんのこともカクバリズムのとこに写真とともに
そして秋空の展望デッキで43人のスチールパンオーケストラをバックに歌った伊丹空港。

それぞれいちいち書きたいんじゃがのう・・・

気づけば”にじみの旅”がすぐそこ
明後日名古屋へ旅立てば、そのまま宇都宮までの旅。

“にじみの旅”のポスターやフライヤー、どこかで手に取ってもらえましたか?

nijimi_flyer.jpg「お別れの時」のPVに引き続き、坂本渉太画伯によるメンバーのキャライラスト!
ヤバい!!
ここでは実写ですが、にかキャラもほんとはいますから、
ライブ会場のグッズ売り場にてご対面くださいね!

いろいろご用意しております。
構想はあれど、間に合わなかったものもありますが

その分のこぼれネタを当ダイアリーにてつらつらと公開していこうと思います。
というわけで、
昨晩各地を共に訪れるメンバーを特設ページの一覧にあげましたが、
まずは、彼らの紹介を順にさせてもらいたいと思います。

初日までに紹介しきるかなー。今晩からはじめます(希望的予定)

上記の日記は旅の途中に。今年中に・・・(希望と目標)

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2011.09.25

若手

20110924 争点は原発 上関町長選 投稿者 PMG5

画像の貼り方を教わったもんだから調子づいて貼ってみる。
昨日のTBS報道特集。
ほんとうに。この確執が一番の問題。
30年かけて作ってしまった溝、
また30年かけて埋めていくしかないのだろう。
人生は、決して自分の生きている間だけのことを考えればいいわけじゃないってことを思い知らされる。
どうしても大人は意固地になるでしょう
あれだけの天災が揺さぶりをかけてくれてもなお、その確執は崩せないのか?
でも、それでも、いましかない

うーん
どうしたらいいのかな
自然エネルギーで自立した町の成功例をもっと報道しまくってくれないかな。
いろいろ圧力やしがらみがあって報道できないんだろうけど。
確執がまだそれほどでもないフレッシュな若手が動くしかなくないか?
わし、37歳。若手。
君は若手か?

かたき討ちはしたらいけん、って法然上人のお父さんがいうたけー、法然上人はお坊さんになった
お坊さんは直接政治をするんは向かんけど
心を耕すのはこっちの仕事かもしれん
おっさんの心は硬そうじゃなー
こないだの敬老会コンサート、ほかのところより男性が多くてやりづらかったわー
ほいでも、みんな一応こっち向いてくれとった
爆弾みたいな揺さぶりでもだめなんじゃったら
地道な鋤や桑が必要なんかもしれんね

だいたい方言でしゃべりよるときいうんは、つぶやきみたいなもんじゃけーごめんね

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2011.09.22

それがパンクス(?)

アルバムができた後はやたらと原稿の戻しやら事務連絡が続くので
制作期とは全然ちがう頭になっている。

子どもの頃はわかっていなかったが、
俳優さんたちがテレビや雑誌に、
出る時はしょっちゅう出ていて、出ない時は全然出ない。
しょっちゅう見てた人が見えなくなると、
あの人も飽きられたのかなーとか思っていたが
そうではなくて、あれは制作期であったのだ。
テレビや雑誌に出る時というのは、宣伝時期なのだ。
宣伝時期とは言っても、裏で別の作品の撮影とか準備は進められているのだろうが
俳優さんはお芝居が得意でやっているのに、
得意でもないトーク番組やバラエティなどに出演して、新作の宣伝などをして行く。
露骨に宣伝タイムが与えられたり、られなかったり、そこまで見せてしまうのもある。
裏方をちらっと見せる感じ
業界は裏方が支配しているのだ、となんとなく知った気にさせる感じ
いまNHKまでが、朝のバラエティなどがそうなっていて、
わたしは番組スタッフの笑い声が入るのは好きじゃない
テレビの向こう側だけで成立してしまっている感じがする
私たちはそれをただ傍観させられてるというか、
内輪受けのかんじだ そんなの80年代の手法なんじゃないのかな
すっかり普及してしまった今、あえて必要なのは硬派なものだと思う。
それが役割というものだ。
そうでないと、反対勢力もちゃんと育たない。
奇抜だった手法も全然目新しくなくなって
全体がぐにゃーんとなって
だれも硬派をやらないなら、しかたない、
本来、抵抗側だったはずの人がそっちにまわる。
逆なようだが、
いまはそっちがパンクスなのではないか。

ともかく得意でもなくても、宣伝しにメディアに出てくる。
制作スタッフみんなの期待を背負って
代表として、看板として
作ったものをアピールするために。

前作『二階堂和美のアルバム』の時にもそれを思った。

でも今作はもっと気が楽だった。
前よりも、もっと全体が自分だからだ。
自分が裏方でもあるから
ほら、いってこい、って自分で自分に行かせている感じがある。

8月15日に開催された、プロジェクトFUKUSHIMA。
あれは、わたしは、志願して行った。
全然誘われてもいなかったのに
ハラカミさんが突然亡くなって、
代わりに、広島代表として、行けるのは私だけじゃないか?
と勝手な使命感を感じてバンクーバーのホテルで深夜、
テニスコーツの二人が寝てるのをうしろに
ひとり、さやのパソコンを借りて、大友良英さんにメールを送った。
7月30日のこと。

こないだ大友さんのJAMJAMラジオ(Podcastで聞けます)に出させてもらった時、聞いた話では
実は出演を希望してきたアーティストはほんとにたくさんいて、たくさん断ったと。
で、ひとしきりそういう処理も終わった後に、
突然私が「出たい」って申し出てきて、
あまりに直前だったゆえに私は入れてもらえた。

交通費もギャラも全員出ないイベント。
被曝のリスクも背負って、バカかもしれない、と思った。

広島の友人からメールが来た。
彼女は自分の遺伝子が、原爆で被爆した祖父母から壊れた状態で引き継がれ、
それを知らずに子を持ち、その子が白血病であることを知り
辛い思いを抱えて生きている
彼女はわたしに、福島に住む多くの人たちへの心配や気遣いとともに、
一度壊れた遺伝子は、かならず受け継がれるから
できればその可能性をわざわざ増やすことはほんとはやめてほしい
というような主旨のことを告げてくれた。
そのメールは、ずっしりときた。
もう、福島に行く3日前だった。
わたしの選択は、彼女のような人の心まで乱した。
あらためて、自分が行くことで、人を巻き沿いにする責任を思った。

彼女からのメールの翌日、私のライブに原田郁子ちゃんが来てくれた。
始めて会った。面識もなかったが、共にFUKUSHIMAにいく女性として、
私たちはどこか運命共同体的な結束力を抱いていたような気がする。
確かにわたしは、自分が出演を申し込む時、
その時点での他の出演者の名前を見れば、(失礼ながら)おっさんばっかりだった。
その中に、原田郁子がひとりで挑んでいるのを見て、放っておけない感情がわいた。
まったくもってよけいなお世話だが。

FUKUSHIMA当日、控え室に入ったらピカチュウがいて
私が、志願して来たんだ、みたいな話をしたら
彼女は、わ、私の他にもいたんだーと喜んだ。

会場に行けば、さやがいた。
「なんでおるん?」「きちゃった」

主催者のみなさんは、ものすごくいっぱいいっぱい考えたと思う。
考えて、調べて、否定的な意見も当然踏まえて、それでもやった。
たぶん、やっぱりパンクスなのだ。
きっとそうなんだろう、というのが一番納得できた。

さて冒頭の動画。2010年のゴールデンウィーク。
祝島へは「祝の島」という纐纈あや監督の映画のプレ上映のために行った。
行きの電車で、横川シネマの溝口さんと「祝の島」のプロデューサーである本橋成一さんと、さらに船からイラストレーターの黒田征太郎さんと合流。
本橋さんも黒田さんも初対面だったが、船の1時間余りを談笑して過ごした。
ライブをするつもりなど全くなくて手ぶらで行ったのだったが、
翌朝、黒田さんの路上パフォーマンス中に余興をやっててくれと急遽頼まれた。
その模様がこの映像。ゆるい。集会所での「にかちゃんライブ」の半年後。
震災の10ヶ月前。
祝島の人たちが原発に反対し続けてきたのは今年で29年目になる。
同じ頃計画された他の土地では、とっくに建設されて稼働しまくっている年月。
その間、圧倒的少数派であったにも関わらず踏ん張り続けてきた人たち。
辞任してしまった鉢呂元大臣が上関のことも「新設は困難」と示したように、今「新設」の扱いであれるのは、彼らがしぶとく、まさにしぶとく、抵抗し続けてきたからこそだ。
今、ようやくまな板の上で議論できるフェアさを得られている。
彼らのふんばりのおかげで、今まさに選ぶ権利が与えられている上関。
今週、上関町は町長選挙のまっただ中。
推進派と反対派の候補一騎打ち。25日が投開票。
反対派として立候補したのは、この映像中7:42あたりで、たみちゃんとツーショットになっている山戸貞夫さん。(なぜたみちゃんはこんなカツラを持っているんだ・・・)
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の中でも彼ははっきりと言っていた。
「自分たちが時間稼ぎしている間に、情勢が変わったらいいと思ってやってる」と。
その時が来た。
山戸さんに勝ってもらわなければならない。
原発にさよならできる国に生まれかわるために。
うーん、選挙権がある人に訴えかけるにはどうしたらいいのだろう。
映像のような選挙応宴でよければ行きますが。(逆効果?)

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