二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2011.10.12

にじみバンド メンバーファイル2:曽我大穂

ちょっとあいだ空いてすみません。
お次ぎはフルート、ハープ、ピアニカ、テープレコーダー、などなどの曽我大穂。
ダイホ.jpgガンジーさんとCinema dub Monksというユニットを中心に活動しつつ、ソロとしても、ハナレグミのサポートや、いろんな人とのセッションもやっている。
「男はつらいよ」好き。ダブモンクスをはじめた頃は沖縄に長く住んできたらしいが、若い頃から旅癖があるようで、スペインにも半年くらい住んでいたりもして、現在は東京浅草在住。奈良出身。
大穂のことは出会う何年か前から、共通の友人であるmama!milkの恒輔さんから、親愛詰まりまくりの「アホの大穂」として話を聞かされていたので、私はもう、mama!milkのお二人がおつきあいをしている人に間違いはないという定説をもっているもんから、はじめて会ったときに「あなたがアホの大穂くんですね!」と最大限オープンマインドな挨拶をしたら、ちょっと怪訝そうな顔をされ、あ、そりゃあそうか、失敗したと思ったが、数時間後ステージで犬の鳴き真似合戦のような演奏をしたら打解けることができた、とそんな出会い。
CdM堂脈.jpgそれから半年くらい経って、シネマ・ダブ・モンクスの「永遠と一日」というアルバムを聴いた。ちょうどその時わたしには、書きたいがなかなか書けずにいた手紙があった。ペンを進めるのにふさわしい音楽はないかと自分のCDの棚を見渡し、いくつかをかけてみたが全然だめだった。
eien_line.jpgそんなときこのアルバムをかけてみたら、驚くほどぴたりときた。ああ、わたしが欲しかったのはまさにこんな音楽だった、と。音楽かどうかわからないが、いまこの現状から連れ立ってくれる手助け。シネマ・ダブ・モンクスは、物語を見せるインストユニット。自身のレーベル名も「Monogatari」だ。すごい。ロマンチックすぎないか、と一見ビックリするが、彼と話していると自然と話が飛躍して続いていくのは、その世界に連れ出されているということなのだろう。
『にじみ』への参加は、当初「女はつらいよ」をみどりさんとガンジーさんとトリオでやってみたときに、これはフルートがほしいね、じゃあ大穂にやってもらおう!ということで声をかけたのだったが、アルバム一発目の音が大穂の吹くベースピアニカとなるほどに、結局他にも多くの曲で参加してもらった。かっこいい音楽をやっているかっこいい人のはずなのに、「説教節」とかで笛を吹かせていて、ダブモンクスのファンに怒られそうだと思いながら、大穂のそもそもの和物好きの資質を見込んでにじみバンドに巻き沿いにしています。

彼が今どこにいるのか、最新情報は大穂のブログかツイッターで。

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2011.10.07

にじみバンド メンバーファイル1:まるむし

まずは一番古い付き合いのこの人。まるむし。
まるむし011.jpg
大阪在住。バイオリニスト。赤犬、みにまむす等で活動。作曲、アレンジもいい仕事をする。NHK教育の「ストレッチマン」では”遊び楽団みにまむす”として出演中。
実は某大手電機メーカーのエンジニアで、課長さんでもある。ので土日しか動けない。そんな中でこんだけあほなことをしている頼もしい同志。
101029sman1.jpgのサムネール画像まるちゃんと始めて会ったのは、2005年くらいかな?渋谷クアトロであった赤犬のイベントに呼んでもらったのが最初。わたしの演奏の直後、物販に走って買いにきてくれたのがまるむしくんだった。

以後、彼と二人でやったライブ音源をCDRで限定販売したこともあるし、
『くるり鶏びゅ〜と』での「宿はなし」も彼とのデュオで録音した。
何かっていうと「あ、まるちゃんとやろう」ってなるミュージシャンで友人。

一昨年も、地元の体育館で市民のためのコンサートをしてくれと地元のおばちゃんたちに頼まれたとき、助けて!みにまむす!と呼んだら参上してくれた。

まるさん02.jpgのサムネール画像ポップス、歌謡曲、アイドル系のアレンジにおいては特に、いわずもがなの演奏をくれる。
「いつのまにやら現在でした」や「お別れの時」の前奏のフレーズは、彼に弾いてもらいたいと思って作った。
「Blue Moon」は好きなように弾いてもらった。フランスのオカマみたいなムードたっぷりのソロに、レコーディング中、良すぎて何度も吐きそうになってた。おえーっともだえるくらい迫りくる情感。
そして「めざめの歌」。

この写真のような顔つきでいつもにやーっとこっちを見ながら絡んでくる。
歌と一番近いところにいてくれる音。

“にじみの旅” 全国一覧詳細こちら

みにまむすライブ

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2011.10.06

にじみバンドのメンバー紹介をはじめます!

さて!!
いよいよ、”にじみの旅”まで一週間を切りました!
7月6日の発売からまだまだと思っていましたが、

発売翌日、動員数でいえば武道館を超えたほぼ日刊イトイ新聞さんでのユースト、
梅田/新宿でのインストア、
ふちがみとふなとさんとの6年ぶりのツーマン、
バンクーバーでのにかさや、
8年ぶりのアメリカツアー(スイートドリームスの福田さんの日記)、
その前の日本でのタラジェーンとのツアー(同に上じ)、
東京最スカムと思われる算数塾、
波の音にミュートされながらの海の家ブルームーン、
半年ぶりの再会が当日のリハだったにじみバンドでのNHKふれあいホール、
広島代表を勝手に背負って参加したプロジェクトFUKUSHIMA、
このへんはカクバリズムの社長の日記
台風直撃の京都立誠小(libraryにライブ映像有)、
私の出演時だけ晴れて晴れ女説を打ち立てたフェスタデラマ、
翌日の地元での敬老会をはさんで、
2日前の晴れ女説をバッサリ覆す豪雨に見舞われたスチャダラそれぞれの秋、
このへんのこともカクバリズムのとこに写真とともに
そして秋空の展望デッキで43人のスチールパンオーケストラをバックに歌った伊丹空港。

それぞれいちいち書きたいんじゃがのう・・・

気づけば”にじみの旅”がすぐそこ
明後日名古屋へ旅立てば、そのまま宇都宮までの旅。

“にじみの旅”のポスターやフライヤー、どこかで手に取ってもらえましたか?

nijimi_flyer.jpg「お別れの時」のPVに引き続き、坂本渉太画伯によるメンバーのキャライラスト!
ヤバい!!
ここでは実写ですが、にかキャラもほんとはいますから、
ライブ会場のグッズ売り場にてご対面くださいね!

いろいろご用意しております。
構想はあれど、間に合わなかったものもありますが

その分のこぼれネタを当ダイアリーにてつらつらと公開していこうと思います。
というわけで、
昨晩各地を共に訪れるメンバーを特設ページの一覧にあげましたが、
まずは、彼らの紹介を順にさせてもらいたいと思います。

初日までに紹介しきるかなー。今晩からはじめます(希望的予定)

上記の日記は旅の途中に。今年中に・・・(希望と目標)

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2011.09.25

若手

20110924 争点は原発 上関町長選 投稿者 PMG5

画像の貼り方を教わったもんだから調子づいて貼ってみる。
昨日のTBS報道特集。
ほんとうに。この確執が一番の問題。
30年かけて作ってしまった溝、
また30年かけて埋めていくしかないのだろう。
人生は、決して自分の生きている間だけのことを考えればいいわけじゃないってことを思い知らされる。
どうしても大人は意固地になるでしょう
あれだけの天災が揺さぶりをかけてくれてもなお、その確執は崩せないのか?
でも、それでも、いましかない

うーん
どうしたらいいのかな
自然エネルギーで自立した町の成功例をもっと報道しまくってくれないかな。
いろいろ圧力やしがらみがあって報道できないんだろうけど。
確執がまだそれほどでもないフレッシュな若手が動くしかなくないか?
わし、37歳。若手。
君は若手か?

かたき討ちはしたらいけん、って法然上人のお父さんがいうたけー、法然上人はお坊さんになった
お坊さんは直接政治をするんは向かんけど
心を耕すのはこっちの仕事かもしれん
おっさんの心は硬そうじゃなー
こないだの敬老会コンサート、ほかのところより男性が多くてやりづらかったわー
ほいでも、みんな一応こっち向いてくれとった
爆弾みたいな揺さぶりでもだめなんじゃったら
地道な鋤や桑が必要なんかもしれんね

だいたい方言でしゃべりよるときいうんは、つぶやきみたいなもんじゃけーごめんね

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2011.09.22

それがパンクス(?)

アルバムができた後はやたらと原稿の戻しやら事務連絡が続くので
制作期とは全然ちがう頭になっている。

子どもの頃はわかっていなかったが、
俳優さんたちがテレビや雑誌に、
出る時はしょっちゅう出ていて、出ない時は全然出ない。
しょっちゅう見てた人が見えなくなると、
あの人も飽きられたのかなーとか思っていたが
そうではなくて、あれは制作期であったのだ。
テレビや雑誌に出る時というのは、宣伝時期なのだ。
宣伝時期とは言っても、裏で別の作品の撮影とか準備は進められているのだろうが
俳優さんはお芝居が得意でやっているのに、
得意でもないトーク番組やバラエティなどに出演して、新作の宣伝などをして行く。
露骨に宣伝タイムが与えられたり、られなかったり、そこまで見せてしまうのもある。
裏方をちらっと見せる感じ
業界は裏方が支配しているのだ、となんとなく知った気にさせる感じ
いまNHKまでが、朝のバラエティなどがそうなっていて、
わたしは番組スタッフの笑い声が入るのは好きじゃない
テレビの向こう側だけで成立してしまっている感じがする
私たちはそれをただ傍観させられてるというか、
内輪受けのかんじだ そんなの80年代の手法なんじゃないのかな
すっかり普及してしまった今、あえて必要なのは硬派なものだと思う。
それが役割というものだ。
そうでないと、反対勢力もちゃんと育たない。
奇抜だった手法も全然目新しくなくなって
全体がぐにゃーんとなって
だれも硬派をやらないなら、しかたない、
本来、抵抗側だったはずの人がそっちにまわる。
逆なようだが、
いまはそっちがパンクスなのではないか。

ともかく得意でもなくても、宣伝しにメディアに出てくる。
制作スタッフみんなの期待を背負って
代表として、看板として
作ったものをアピールするために。

前作『二階堂和美のアルバム』の時にもそれを思った。

でも今作はもっと気が楽だった。
前よりも、もっと全体が自分だからだ。
自分が裏方でもあるから
ほら、いってこい、って自分で自分に行かせている感じがある。

8月15日に開催された、プロジェクトFUKUSHIMA。
あれは、わたしは、志願して行った。
全然誘われてもいなかったのに
ハラカミさんが突然亡くなって、
代わりに、広島代表として、行けるのは私だけじゃないか?
と勝手な使命感を感じてバンクーバーのホテルで深夜、
テニスコーツの二人が寝てるのをうしろに
ひとり、さやのパソコンを借りて、大友良英さんにメールを送った。
7月30日のこと。

こないだ大友さんのJAMJAMラジオ(Podcastで聞けます)に出させてもらった時、聞いた話では
実は出演を希望してきたアーティストはほんとにたくさんいて、たくさん断ったと。
で、ひとしきりそういう処理も終わった後に、
突然私が「出たい」って申し出てきて、
あまりに直前だったゆえに私は入れてもらえた。

交通費もギャラも全員出ないイベント。
被曝のリスクも背負って、バカかもしれない、と思った。

広島の友人からメールが来た。
彼女は自分の遺伝子が、原爆で被爆した祖父母から壊れた状態で引き継がれ、
それを知らずに子を持ち、その子が白血病であることを知り
辛い思いを抱えて生きている
彼女はわたしに、福島に住む多くの人たちへの心配や気遣いとともに、
一度壊れた遺伝子は、かならず受け継がれるから
できればその可能性をわざわざ増やすことはほんとはやめてほしい
というような主旨のことを告げてくれた。
そのメールは、ずっしりときた。
もう、福島に行く3日前だった。
わたしの選択は、彼女のような人の心まで乱した。
あらためて、自分が行くことで、人を巻き沿いにする責任を思った。

彼女からのメールの翌日、私のライブに原田郁子ちゃんが来てくれた。
始めて会った。面識もなかったが、共にFUKUSHIMAにいく女性として、
私たちはどこか運命共同体的な結束力を抱いていたような気がする。
確かにわたしは、自分が出演を申し込む時、
その時点での他の出演者の名前を見れば、(失礼ながら)おっさんばっかりだった。
その中に、原田郁子がひとりで挑んでいるのを見て、放っておけない感情がわいた。
まったくもってよけいなお世話だが。

FUKUSHIMA当日、控え室に入ったらピカチュウがいて
私が、志願して来たんだ、みたいな話をしたら
彼女は、わ、私の他にもいたんだーと喜んだ。

会場に行けば、さやがいた。
「なんでおるん?」「きちゃった」

主催者のみなさんは、ものすごくいっぱいいっぱい考えたと思う。
考えて、調べて、否定的な意見も当然踏まえて、それでもやった。
たぶん、やっぱりパンクスなのだ。
きっとそうなんだろう、というのが一番納得できた。

さて冒頭の動画。2010年のゴールデンウィーク。
祝島へは「祝の島」という纐纈あや監督の映画のプレ上映のために行った。
行きの電車で、横川シネマの溝口さんと「祝の島」のプロデューサーである本橋成一さんと、さらに船からイラストレーターの黒田征太郎さんと合流。
本橋さんも黒田さんも初対面だったが、船の1時間余りを談笑して過ごした。
ライブをするつもりなど全くなくて手ぶらで行ったのだったが、
翌朝、黒田さんの路上パフォーマンス中に余興をやっててくれと急遽頼まれた。
その模様がこの映像。ゆるい。集会所での「にかちゃんライブ」の半年後。
震災の10ヶ月前。
祝島の人たちが原発に反対し続けてきたのは今年で29年目になる。
同じ頃計画された他の土地では、とっくに建設されて稼働しまくっている年月。
その間、圧倒的少数派であったにも関わらず踏ん張り続けてきた人たち。
辞任してしまった鉢呂元大臣が上関のことも「新設は困難」と示したように、今「新設」の扱いであれるのは、彼らがしぶとく、まさにしぶとく、抵抗し続けてきたからこそだ。
今、ようやくまな板の上で議論できるフェアさを得られている。
彼らのふんばりのおかげで、今まさに選ぶ権利が与えられている上関。
今週、上関町は町長選挙のまっただ中。
推進派と反対派の候補一騎打ち。25日が投開票。
反対派として立候補したのは、この映像中7:42あたりで、たみちゃんとツーショットになっている山戸貞夫さん。(なぜたみちゃんはこんなカツラを持っているんだ・・・)
映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の中でも彼ははっきりと言っていた。
「自分たちが時間稼ぎしている間に、情勢が変わったらいいと思ってやってる」と。
その時が来た。
山戸さんに勝ってもらわなければならない。
原発にさよならできる国に生まれかわるために。
うーん、選挙権がある人に訴えかけるにはどうしたらいいのだろう。
映像のような選挙応宴でよければ行きますが。(逆効果?)

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2011.08.08

アメリカンツアー 現地レポ

RIMG1387br.jpg
カジュアルでスモールなアメリカツアーも終盤。
ただいま深夜の2:15。
今日は朝サンフランシスコをでて、タラの住むポートランドに一気に戻る予定が
あと一息のところでタラの車のタイヤがパンク。12時間ドライブの末。
JAF的なサービスにきてもらって、車はレッカー。
近くの町のモーテルで急遽一泊することに。
アクシデントは面白い。
旅って感じがする。

一緒にツアーを回ってくれている、SWEET DREAMSの福田さんのface bookに写真がいくつか。

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2011.07.30

パラカミ兄さん

ハラカミさんが亡くなった。
突然に。
『にじみ』発売日に
「今から買って聴くです!」ってメールをくれた。
あわてて電話をして、「送りますから!」って言ったら
「もうitunesで買いました」
って言って
「じゃあモノのほう送ります」
って言って
いろいろ話をして
こんど9月のフェスタデラマでご一緒しましょうって
またうだうだ飲みましょうって

ツイッターに入会したかって
まだですって
会員になる時は、ぼくに言ってもらったら紹介するからって
まえからそういう約束で

わたしはもうツイッター会員にはなれない

「うちの和美をよろしくお願いします」って
同郷の私をわざわざ広島でのハラカミさんのライブのとき、
ゲストによんでくれて、私にもサイン会をつくってくれて

ハラカミさんとはいつもサシで飲んでて
パラカミさんはいっつも文句ばっかり言ってるんだけど
ものすごくやさしい兄貴だった
ものすごくやさしい兄貴だった

ものすごく やさしい兄貴だった ほんとうに
ものすごく

ものすごく

兄さん
なんでいなくなっちゃったんだろう

私がお経をあげたかったよ
でも兄貴はいっぱい人に愛されてるから

わたしはカナダから
ホテルのベッドで
お経をあげましたよ
きこえたかな
兄貴

ありがとう

ありがとう
ハラカミさん

ありがとうございました。

お別れの時 恐れはしないです
必ずまた会えると信じています

お浄土で会うのを楽しみにしています

それまであれこれ文句ばっかりいいながら待っていてください

合掌

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2011.07.21

彼岸

台風一過で、散らかった庭には、道はさんで向こうの自治会掲示板から「花火大会」のポスターが飛んできていた。
貼り戻しに行ったら、「納涼祭」のポスターも引きちぎれて、そこらへんに散らばっていたので、なんとなくパズルがしたくなって、いったん持ち帰ってセロテープで裏から貼り合わせ、掲示板に戻した。
よれよれのポスターたちを貼り直し、倒れていた「ゴミ集積所」の看板を針金で留め直し、よしよし、見違えたぞ、とひとり満足して掲示板をにんまり眺めて、気を良くしていたその矢先。
調子に乗ってもう一働きするかと草抜きを始めた瞬間、チクッと腕に痛みが走った。
切ったのか、虫にさされたのかもよくわからないけれど、毒っぽいものが血管を回っている。あわてて、病院だ、消毒だ、とか言ってるうちに、虫さされっぽく腫れてきたので、なんだ、虫さされなら、とムヒを塗ったら数十分後に跡形もなく収まった。

刺される直前、思わず口に出してしまった言葉は「わたし、人、良くね〜?」。

・・・ちくしょー、思い上がった瞬間に刺された。
確かに、「わたし善行しちゃった〜!」って思ったさー。

ジンクスとか迷信とかはことごとく無視するほうだが、
タイミングよすぎて、まるで日本昔話の戒めのようで気味悪かった。

わりと、信じ難いことがよくある。
その人のことを何日も、「あ、手紙書かなきゃ」とか思っていると、その相手から先にメールが来たり、向こうから会いにきてくれたり。

今しがた、今度「TRUSH UP」で連載される人生相談の電話対談を終えたところ。
相手はお坊さん。5年前にお坊さんの集中講習会で一緒のクラスだった人。
2週間みっちり朝から晩まで勉強する講習の、最後のころ、その人は
「『Lovers Rock』の7インチ持ってます。」と言ってくれてびっくりした。
その後数年を経て、「TRUSH UP」の連載をしないかとその人から連絡があった。
「なぜあなたが?」と尋ねると、たまたま訪問したご門徒のおばさんから「うちの息子が変な雑誌作ってる」と見せられたのが「TRUSH UP」だったらしい。彼はその読者だった。
へえー!な話。

「TRUSH UP」といえば、連載されているDODDODOの漫画が素晴らしい。
DODDODOのカバーを一昨年、neco眠ると一緒にやらさせてもらって、
MV(最近はミュージックビデオというらしい)にも出演させてもらったが、
その曲が収録されるのと同じアルバムの、他の曲のMVを見た。
そのMVが素晴らしかった。当時も触れたけれど、素晴らしくて感動した。

「お別れの時」という曲は、去年の11月にできた。
その数ヶ月前に最初の2行だけはできていた。
そっから先、どう転がしたらいいか、見えずにいたが、
尾道へ、シネマダブモンクスに会いに行ったとき、
彼らのライブのリハ時間に、ひとり散歩しながら坂の途中で1番ができた。
会場の喫茶ハライソに戻ってきて、ライブがスタートするまでの時間で続きを書いた。

福岡の友人が亡くなった翌週だった。

彼女との別れにも重ねて書いた。

そんなことは、いまはじめて言う。
インタビューをたくさん受けたけれど、特に聞かれなかったから特には触れなかった。
自分でもそうであったことを、忘れていたのかもしれない。

もちろん、坂本くんにも言ってない。MVを作ってくれた作家だ。
それどころか、依頼の際にも、私はひとことも話をしていない。
メールも。手紙も何も。
坂本渉太くんとはまったく直接のやり取りをせぬまま、
だが、坂本くんにこの曲のMVを作ってもらいたい、というのは最初から決めていた。
彼の連絡先を教えてとカクバリくんに言ってるあいだに、
カクバリくんがオファーをしてくれ、
その後再三頼んでも、カクバリくんがなかなか連絡先を教えてくれなかったので、
そのまま進んだ。
そのまま進んで、もう何ヶ月も経ってから、「女はつらいよ」を作ってくれた伊藤ガビンさんにその話をしてたら、「話します?」と言われ、ガビンさんの電話でようやく挨拶した。
でももう、この期に及んで何かを言うのはヤボだなと言う時期に来ていたので
「信じて待っています。そのまま進めてください。」とだけ言って
さらに待つことひと月余り。
待ちに待った上映。
大笑いして大泣きした。

「お別れの時」ミュージックビデオ 制作:坂本渉太

カクバリくんが連絡先を教えてくれなかったのは正解だったのかもしれない。
話す必要はなかった。
話してないのに、これができてしまった。

予想外の物語が展開して行くのが面白かった
ストーリーは予想外ではあるが、根っこは見事に、
まさしくそれです、という世界だった。

その世界がみたかった。
時折フォーカスされる花々の顔があまりに無邪気で、
突っ伏してしまいたくなるほどの嗚咽を誘う。

おーん
おーん
あははははは

アニメーションというのはすごいな。
世界が、現実を離れる。
あっちの岸に飛躍する。

坂本くん、頼まれてくれてありがとう。

そして、そして、おくればせながら、
『にじみ』を早速手に取って聞いてくれている皆さん、
本当にどうもありがとう!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

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2011.07.04

レコード大賞

今日夕方、
野音では今日、スチャダラの「オール電化フェア」をやっているなあ、と行けなかった事を無念に引きずりつつ、
届いたばかりの「にじみ」の製品版CDをデッキにかけた。
4月にマスタリングを終えて、始めて通して聴いた。

夕飯時、母に「今年はこれがレコード大賞をとるべきだと思ったわ」とぼやいた。
近頃どんなレコードが出ているかも全然知らないくせにちゃんちゃらおかしいが
そのくらいの自負がある。
そうでなければこのご時世に、こんな腹のふくれないもの、だせやしない。

そんな強気の暴言をはきつつ「BS日本のうた」を見て「つまらん歌手ばっかり」と文句言いながら台拭きをかける1ローカル庶民の食卓。
「そんなら和美のCDきこうや」
「いや、ええわ。絵が出んけえ、退屈いね」
この押しの弱さでレコード大賞とれるわけがない。

一昨日の深夜、「女はつらいよ」のミュージックビデオも公開された。
早くも多くの方が見てくださったようで、ありがとうございます。
あんぱんがへしゃげたみたいな顔が大きく映ってすみません。

(こっから先裏話じゃけ、先にビデオ見てください。こちら

通りかかってくれたおばあさんは、先週私の留守中に、わたしのおばあちゃんのところへ、「こないだはええところに通りかかってから映してもろうたんよ、まー、ええところに通ったもんよね」と喜んで自分が育てた豆の豆ご飯のおにぎりを持ってきてくれたらしい。写真ができるのを楽しみにしている、と。
おばあちゃんは若干、なんで自分じゃないんだ、と思っていそうな感じがなくもないが、それは思い過ごしかもしれない。

そんなに喜んでくれていたのなら、と早速報告と肖像権の断りがてら、昨日そのおばあさんのところにパソコンもって見せに行った。
曲の最初から流してみせてたら、字が出れば「ありゃー、そういう曲かね」「まー、あそこじゃね」「まー、あんたあんな声がようでるね」とかなんとかいろいろ社交辞令に褒めてくれつつ、わたしはいつでてくるんかいの、の待ち遠しい空気が流れているようなそんな中「ほらほら!出てきたよ!」「ありゃー!あひゃひゃひゃ、大ババじゃね!ありゃーどうせよ、恥ずかし」と、ほいですぐあとに登場する少年をみて、「こりゃああそこのんじゃね、あの子はうちにようくるんよ、うちにきたらね、仏壇に参ってくれるんよ、ひとりでたったったーゆーて入っていってからチーンゆうて。あっひゃひゃ、ほいでの、」と彼の話、姪ごさんの話、息子さんの話、うちの死んだおじいちゃんの話と移りゆき、ビデオの続きは閉じてひとしきり話相手をして、またあの子の話に戻ったところで「ほいじゃああの子にも見せに行くけ、さいなら」。
おばあさんちから3軒くらいとなりの亀の少年のうちは、休日だったし、ご家族でお留守だった。
代わりにその足で姉の家に。亀の子と甥っ子は同級生。姉は、なんでうちの子じゃないん顔。だって通りかかったけえさー。あの子んちの前で撮りよったけー、たまたまさ、学校から帰ってきたんよー。ほいで、お父さんがすぐそこにおったけえ、ちょっとモデルになってもろうてもええか、ゆうて一応断ったけ、大丈夫と思うけど、そしたら亀持ってもう一回きてくれたんよ。じゃけ大丈夫じゃろ。だめ言われたらどうしよう。

それにしても、ここまで近所で済まされるとは予想を超えた。もうちょっと上流に行けばもうちょっと風光明媚ですが、もうちょっと待てば夕陽があっちに・・・、そんな薦めはさらりとかわされ、ディレクターのガビンさんとカメラマンの新津保さんはすぐそこで撮りはじめる。家の中でも。え、ここは、片付けてないからちょっと待ってと、いけかけの花を整理してたらもう撮ってた。
速い。

個人的には、橋のたもとでただひまつぶしに見物しよるおばさんとおじさんを背後に橋を渡っているのが、旅に出る時の寅みたいで気に入っている。かけ慣れないショールが、寅ちゃんが背広を袖通さず肩にかけてる感じにも重なり、あのおばさんとおじさんが並んで見守ってくれてる感じが図らずもそんな雰囲気を醸し出す。あのおばはんも、何事かいの?って顔でじろじろ見てたので、「これこれこうでね、東京からね、」と説明したらへーすごいじゃ、とかいうて、自分が映っとるなんて全然思いもよらず冷やかしがてらみよっただけのはずじゃけど、あのおばはんにも見せにいこうかいな。にしては小さすぎるな・・・
それにしても、ほんま、近所すぎて、そりゃみんな知っとる人じゃわ。だって私はあそこでラジオ体操しよるんじゃもん。一昨年納涼祭で歌って後援会できそうになったくらいじゃもん。上映会しようかいな。

あんまりぺらぺら書きすぎた。ごめんなさい、裏話なんか聞かんで見てください。

とにもかくにも、こんなところまで撮影のために来てくれた事が嬉しかった。
多くの時間をかけて。貴重な時間を割いてくれて。

聞いてくれる皆さんにもです。
ほんとに、ありがとう。
時間を使ってくれることが、本当に何より有り難い。
年寄りみたいだな、なんか発想が。

こないだ、6月7日、取材をいくつもしてもらって、ジャケの写真も撮ってもらって、大方のデザインも完成したのを見届けて、東京から最終の新幹線で戻ってきたとき、駅に降り立って、思った。
「よくこんなところに住んでてこれが作れたな」
と。でも同時に、
「ここに住んでいたからこそ、これができたのだ」とも思った。

そういうアルバムなんだな。

いろんな人や、出来事や、あらゆるすべてのものごとがにじみ合って、
自分の中からも、押さえても押さえてもにじみ出て、

それがまた、だれかへとじわっとにじんで行くような
そんなものになれたら、ほんとに嬉しい。

ほんとに大変なご時世ですが、ほんとはずっと前からそうだったはず
これほどの揺さぶりをかけられないと気づかないくらい私たちは鈍感になってたということ

書きたい事がいっぱいいっぱいある。
玄海原発も再開させたらいけんじゃろ。国が責任とる?とれてないじゃん!なにをぬけぬけと、ふしぎでならん。
原発がなきゃあ電気が足りんっていう考えは間違っとると思う。
もっと取り上げられなきゃいけないと思うのは、たとえ事故がなくても、手のつけようがない核廃棄物は必ず出ること、その受け入れ場所さえ決まってないのに稼働している根本的な大問題。作業員の方の危険だって、事故がなくとも常にある。
孫社長がんばれ!(孫社長が息巻くとハマケンのコントに見える・・・)

電気をとりまく状況も、宗教の本質も、歌の心も、どれもこれも危機的状況に見える昨今。
6代先のこと考えて物事を決めにゃあいけんとどっかの民族の話を聞いた。
真実はいつも少数派、ともどっかで聞いた。
少数派でなくなるところまでいったん行って、また壊れて、また一から出直して、
どれもこれも、それの繰り返しのような気がします。

だから新エネルギーがもうけ話になることを今は応援する。

もうけ話になりすぎた宗教は今壊れかけてる。
歌は・・・

よくわからん事だらけですが、
わからんなりにも、これだけははっきりしているって事を見つめれば自ずとやるべき事はみえて、
やれる、と思っている事のちょっと上まで目指してやっとほどほど
やればできる。
できるとこまではできる。
間違ってたら、軌道修正しながら
どっちにしろ、進む。

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2011.06.20

『タラとニカ』に寄せて

『タラとニカ』と『にじみ』という二つの作品が、どういうわけか、ほぼ同時にリリースされることとなった。
私にとっては、2枚組みたいなものだ。

『タラとニカ』のとっかかりは2008年春の録音。当時『ニカセトラ』の録音の終盤で、『ニカセトラ』の録音エンジニアを担当してくれていた東くん(『タラとニカ』のジャケットの真ん中にいる人)が、タラとの一回目の録音をしてくれた。だからタラとのセッションの中でも「蘇州夜曲」とか「赤とんぼ」なんかがスルッと出てきている(特典CDR収録)。また、『にじみ』の中のいちばん古い曲「あなたと歩くの」を作ったのもその頃。

タラとの2回目の録音は、『にじみ』の制作を決め、構想を固め始めた2010年5月。この頃は基本的にギター弾き語りでのライブは休止していて、気持ちはもうすっかり『にじみ』の制作モード。でもタラも珍しく一人で来るということで、無理矢理わたしもソロでツアーを共にした。ギターで「女はつらいよ」をやったりした。

そして『にじみ』の本格的な制作・録音に入った2010年10〜12月、タラが次々、録音した音源を編集して送ってきた。”二階堂和美アルバム着手記念ワンマン”のリハや新曲を書く傍ら、『タラとニカ』の選曲(”曲”というか、選”箇所”)、ミックス作業。

『にじみ』がミックス作業に入った頃、『タラとニカ』はジャケットや特典周りのあれこれ。

『タラとニカ』5月に発売。『にじみ』7月に発売。

この平行作業はけっこう頭が混乱した。
今それどころじゃない。というのがせめぎ合う。どっちも手を抜けない。
その上の震災。もっと大きな「それどころじゃない」。

しかしながら、だからこそのエネルギーが、この2枚には宿った気がします。
私にとって、いわば『にじみ』は本番、あるいは家。
『タラとニカ』はつかの間の休憩時間、あるいは旅。
休憩時間あるいは旅ならではの遊びと緊張。
それをタラが丁寧に引き出し、すくってくれた。
それをスイート・ドリームスがリリースしてくれた。
もったいないくらいの有り難さ。

『タラとニカ』への思いは、CDのライナーノーツにも綴らせてもらったけれど、
ほんとに、タラとでなければできなかった。
言葉が巧く伝わらないからこそ、ダイレクトに伝え合えるものがあった。

この『タラとニカ』と『にじみ』は、表面的には全然違うかもしれないです。
もしかしてどっちかだけが好きという方があるかもしれない。
ありがたいのは、この2作が自分の過去と現在なわけではなく、
どちらにも今現在の自分が写し取られていること。
この2枚を作っていた2008年からの4年間は、わたしにとっての大きな”現在”。
きつかったけど、『にじみ』と『タラとニカ』の同時進行は、きっとよかった。
この2枚が全然似ていないのも、互いに刺激し合ったからこそかもしれない。

タラが今日、また日本に来た。らしい。さっき電話があった。
6度目の来日で、明日、タラははじめて広島の我が家に来る。
そして夏にはわたしがタラの住むアメリカへ8年ぶりに行く。

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