二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2011.07.04

レコード大賞

今日夕方、
野音では今日、スチャダラの「オール電化フェア」をやっているなあ、と行けなかった事を無念に引きずりつつ、
届いたばかりの「にじみ」の製品版CDをデッキにかけた。
4月にマスタリングを終えて、始めて通して聴いた。

夕飯時、母に「今年はこれがレコード大賞をとるべきだと思ったわ」とぼやいた。
近頃どんなレコードが出ているかも全然知らないくせにちゃんちゃらおかしいが
そのくらいの自負がある。
そうでなければこのご時世に、こんな腹のふくれないもの、だせやしない。

そんな強気の暴言をはきつつ「BS日本のうた」を見て「つまらん歌手ばっかり」と文句言いながら台拭きをかける1ローカル庶民の食卓。
「そんなら和美のCDきこうや」
「いや、ええわ。絵が出んけえ、退屈いね」
この押しの弱さでレコード大賞とれるわけがない。

一昨日の深夜、「女はつらいよ」のミュージックビデオも公開された。
早くも多くの方が見てくださったようで、ありがとうございます。
あんぱんがへしゃげたみたいな顔が大きく映ってすみません。

(こっから先裏話じゃけ、先にビデオ見てください。こちら

通りかかってくれたおばあさんは、先週私の留守中に、わたしのおばあちゃんのところへ、「こないだはええところに通りかかってから映してもろうたんよ、まー、ええところに通ったもんよね」と喜んで自分が育てた豆の豆ご飯のおにぎりを持ってきてくれたらしい。写真ができるのを楽しみにしている、と。
おばあちゃんは若干、なんで自分じゃないんだ、と思っていそうな感じがなくもないが、それは思い過ごしかもしれない。

そんなに喜んでくれていたのなら、と早速報告と肖像権の断りがてら、昨日そのおばあさんのところにパソコンもって見せに行った。
曲の最初から流してみせてたら、字が出れば「ありゃー、そういう曲かね」「まー、あそこじゃね」「まー、あんたあんな声がようでるね」とかなんとかいろいろ社交辞令に褒めてくれつつ、わたしはいつでてくるんかいの、の待ち遠しい空気が流れているようなそんな中「ほらほら!出てきたよ!」「ありゃー!あひゃひゃひゃ、大ババじゃね!ありゃーどうせよ、恥ずかし」と、ほいですぐあとに登場する少年をみて、「こりゃああそこのんじゃね、あの子はうちにようくるんよ、うちにきたらね、仏壇に参ってくれるんよ、ひとりでたったったーゆーて入っていってからチーンゆうて。あっひゃひゃ、ほいでの、」と彼の話、姪ごさんの話、息子さんの話、うちの死んだおじいちゃんの話と移りゆき、ビデオの続きは閉じてひとしきり話相手をして、またあの子の話に戻ったところで「ほいじゃああの子にも見せに行くけ、さいなら」。
おばあさんちから3軒くらいとなりの亀の少年のうちは、休日だったし、ご家族でお留守だった。
代わりにその足で姉の家に。亀の子と甥っ子は同級生。姉は、なんでうちの子じゃないん顔。だって通りかかったけえさー。あの子んちの前で撮りよったけー、たまたまさ、学校から帰ってきたんよー。ほいで、お父さんがすぐそこにおったけえ、ちょっとモデルになってもろうてもええか、ゆうて一応断ったけ、大丈夫と思うけど、そしたら亀持ってもう一回きてくれたんよ。じゃけ大丈夫じゃろ。だめ言われたらどうしよう。

それにしても、ここまで近所で済まされるとは予想を超えた。もうちょっと上流に行けばもうちょっと風光明媚ですが、もうちょっと待てば夕陽があっちに・・・、そんな薦めはさらりとかわされ、ディレクターのガビンさんとカメラマンの新津保さんはすぐそこで撮りはじめる。家の中でも。え、ここは、片付けてないからちょっと待ってと、いけかけの花を整理してたらもう撮ってた。
速い。

個人的には、橋のたもとでただひまつぶしに見物しよるおばさんとおじさんを背後に橋を渡っているのが、旅に出る時の寅みたいで気に入っている。かけ慣れないショールが、寅ちゃんが背広を袖通さず肩にかけてる感じにも重なり、あのおばさんとおじさんが並んで見守ってくれてる感じが図らずもそんな雰囲気を醸し出す。あのおばはんも、何事かいの?って顔でじろじろ見てたので、「これこれこうでね、東京からね、」と説明したらへーすごいじゃ、とかいうて、自分が映っとるなんて全然思いもよらず冷やかしがてらみよっただけのはずじゃけど、あのおばはんにも見せにいこうかいな。にしては小さすぎるな・・・
それにしても、ほんま、近所すぎて、そりゃみんな知っとる人じゃわ。だって私はあそこでラジオ体操しよるんじゃもん。一昨年納涼祭で歌って後援会できそうになったくらいじゃもん。上映会しようかいな。

あんまりぺらぺら書きすぎた。ごめんなさい、裏話なんか聞かんで見てください。

とにもかくにも、こんなところまで撮影のために来てくれた事が嬉しかった。
多くの時間をかけて。貴重な時間を割いてくれて。

聞いてくれる皆さんにもです。
ほんとに、ありがとう。
時間を使ってくれることが、本当に何より有り難い。
年寄りみたいだな、なんか発想が。

こないだ、6月7日、取材をいくつもしてもらって、ジャケの写真も撮ってもらって、大方のデザインも完成したのを見届けて、東京から最終の新幹線で戻ってきたとき、駅に降り立って、思った。
「よくこんなところに住んでてこれが作れたな」
と。でも同時に、
「ここに住んでいたからこそ、これができたのだ」とも思った。

そういうアルバムなんだな。

いろんな人や、出来事や、あらゆるすべてのものごとがにじみ合って、
自分の中からも、押さえても押さえてもにじみ出て、

それがまた、だれかへとじわっとにじんで行くような
そんなものになれたら、ほんとに嬉しい。

ほんとに大変なご時世ですが、ほんとはずっと前からそうだったはず
これほどの揺さぶりをかけられないと気づかないくらい私たちは鈍感になってたということ

書きたい事がいっぱいいっぱいある。
玄海原発も再開させたらいけんじゃろ。国が責任とる?とれてないじゃん!なにをぬけぬけと、ふしぎでならん。
原発がなきゃあ電気が足りんっていう考えは間違っとると思う。
もっと取り上げられなきゃいけないと思うのは、たとえ事故がなくても、手のつけようがない核廃棄物は必ず出ること、その受け入れ場所さえ決まってないのに稼働している根本的な大問題。作業員の方の危険だって、事故がなくとも常にある。
孫社長がんばれ!(孫社長が息巻くとハマケンのコントに見える・・・)

電気をとりまく状況も、宗教の本質も、歌の心も、どれもこれも危機的状況に見える昨今。
6代先のこと考えて物事を決めにゃあいけんとどっかの民族の話を聞いた。
真実はいつも少数派、ともどっかで聞いた。
少数派でなくなるところまでいったん行って、また壊れて、また一から出直して、
どれもこれも、それの繰り返しのような気がします。

だから新エネルギーがもうけ話になることを今は応援する。

もうけ話になりすぎた宗教は今壊れかけてる。
歌は・・・

よくわからん事だらけですが、
わからんなりにも、これだけははっきりしているって事を見つめれば自ずとやるべき事はみえて、
やれる、と思っている事のちょっと上まで目指してやっとほどほど
やればできる。
できるとこまではできる。
間違ってたら、軌道修正しながら
どっちにしろ、進む。