二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2008.12.17

ツアーが始まった

ツアーが先週末から始まった
これまでも連日ライブは何度もやっているから、
3日くらい続くのは大丈夫だろうと思っていたけど
今回のは中身が中身なので、なかなか体力がいる
広島、福岡と回って大阪のイベントに着いたときはものすごい疲れてた
でも大きいステージは楽しい。リハでも楽しい。
あの広くてまぶしくて大音量のステージで歌っている時は、全然つらくない
大阪のなんばハッチ、みにまむす。と一緒にやった。
いつもの音響オペレーターに入ってもらう。頼もしい
カフェは大変
楽しい訳ではない
けれど、それがやりたい
と思う
そういう感じだ
たぶん、自分の素に近いから
等身大でいられることが、きっと別の満足感を与えてくれるのだろう
そういうところへ足を運んでくれる方というのはほんとに親しみを感じる
ありがとうございます
いい気持ちを持って帰ってもらえたらほんとに嬉しい
そうでなかったらもう二度とこんなことはやらないほうがいい。
でも、そう、な人がいてくれたら、またやる意味はある。
だから伝えてもらったほうがいい。
いや、そんなことは口にされないでも感じればいいんだけど
ネコバコはなんだかいつのまにかホームみたいになっていた
広島アウェーと思っていたことをそろそろ忘れそうだ
終電を逃した うちはだいぶん遠いのに送ってくれた 心底助かった
迷った末、全編生音でやらせてもらった
それは、とてもすがすがしい気持ちがした
普段はあまりしたくない、と思っているが
あの日あの場所ではそれが一番いいと思った
でもそれがよかったかどうかはお客さんひとりひとりが決めることだ
わたしはよかった
  
福岡、始めて行かせていただくカフェtecoさん
温かかった。お店の皆さんもお客さんも初めての方ばかりだったのに
おみやげに頂いた梅干しがあまりにも自分の求めている味で感激した
カフェのライブは、ライブハウスやホールと違って楽屋がない
直前の1時間の過ごし方にかなり左右される私にとっては一番の難所だが
終演後はお客さんの生の顔や声に接することが出来るといういい点もある。
そこにはやっぱりうれしいことがたくさんある。生きる希望と勇気をもらう。
前日のことがあったので、生とマイク通すのと、だいぶん迷った
けど通すことにした
マイクに向かうのとそうでないのとでは、随分声の出し方が違うような気がする
意識的ではなく、身体が勝手に反応する
マイクに向かっていて音がスピーカーから出ていないとものすごい圧迫感がある。
一歩左によけて、マイクに向かわず声を出すと、解放される。
大きな会場でマイクに向かって出した声が遠くに飛んでいる実感があると
それはもう、頭のフタが開いたような風通しの良い気持ちになる。
自分での聞こえ方とお客さんの聞こえ方は絶対違う。
私は出してる箱だから 共鳴の仕方が箱の外で聴いている人とはきっと違う。
だから自分では会場の音作りは判断しにくい
録音は その点 すこしフェアだ
 
結局ライブは生ものだ
ライブっていうのはやっぱり生の姿を見に行くところだ。
だからホームページのカテゴリーも「schedule」じゃなくて「live」にした
 
こないだ塩屋でライブのあった次の日、大阪でエゴラッピンのライブに行った
よっちゃんの歌とその姿は、私が思う歌手の完成形のように思えた
それを今、目の当たりにしていることに感動して私は轟々泣けてきて止まらなかった。
よっちゃんには、同士のような、戦友のような、なぜかそんな感覚を抱いている。
やはり彼女の歌はライブ、と思った。生声でなくていい もちろん生声は素晴らしいけど
あの照明、音響、すべてがあって私は感動に震わされたのだから
そこでは上記した生音とかそういう生ではなくて、今、生きている姿と声がそこにある
そして自分もそこにいる。それがどんなにか有り難いことか、と思った。
 
隣で暮らしているおばあちゃんは、半年前とは随分様子がかわった
私がこの一年、家を留守がちにしている間に時はたくさん流れたんだ
私の衣類の洗濯を「色がいろいろあって楽しい」と自分の仕事にしてくれていたけれど
それも無理になってきた
冬が終わったらまたすこしは変わるのだろうか
明後日からまたツアーに出る。今度はちょっと長い。
ギターの練習しよう。