2019.07.31
長らく弾き語りを離れていた。
かわいそうに、私のギターはほとんど出番がなくなり、ここ7,8年くらい、1年トータルしても30分くらいしか弾いてもらえていなかったんじゃないか。
たまに弾き語りでのライブ依頼がきても、かたくなに断っていた。
もともとろくに弾けもしなかった。弾けないながらに、かろうじてやれることだけやっていた。歌も弾けないギターに合わせたものだった。
近年の曲は作る時にもギターを使っていないからどう弾いたらいいかわからない。
ギターで弾きながら歌うことも想定していないからどうもしっくりこない。
だから、弾き語りはもう「できない」「やる意味もない」と思い込んでいた。
でも今回、20周年ということにかこつけて、やってみようということになった。
そして選曲をしていて気がついた。
最近の曲をギターでやろうとしていたからできなかったんだ。
ギター弾き語りでステージに立っていた頃の曲だったらできる。
打ち込みのトラック、にじみバンド、ジブリ、そしてビッグバンドと、夢で見たよな歌手って感じ?な体験をさせてもらって、なんか一周回った感じがする今、過去の曲に、フラットに向き合うことができるようになっていることに気がついた。
そう、気がついたのはそれだ。
今回、渋谷毅さんと久しぶりにやらせてもらう。渋谷さんと新曲をつくるという命題があるにはあったが、やっぱり日々は他のことで埋まりすぎていた。
それに関しては、8月の公演では、まだご期待に十分には応えられないかもしれない。それについては引き続き取り組んでいこうと思っています。
でも、そういう新しさではなくて、今、一周回って、とても新鮮な気持ちで向かうことができている「過去」の曲たちや、渋谷さんとのデュオは、逆に、近年知らず知らずのうちに封印してしまっていた、・・・なんだろうか・・・、なに、とは言葉ではうまく言えないけれど、それらの曲を今、12,3年ぶりにあたってみている中で、その、封印していたなにかがよみがえってきているのを確かに感じる。
そして私自身、それをライブで披露できることを、とても楽しみに感じている。
2019年8月。神戸、東京で、お待ちしています。
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2019.05.27
今はすっかり手ぶらで歌うことが多くなったが、学生時代にやっていたバンドが崩壊して一人で活動を始めた1997年から2008年頃まで、主にアコースティックギターを抱えて歌っていた。ソロなのをいいことにいろんなジャンルのいろんな方と一緒に演奏した。自分の持ち曲も抽象的なものが多かったので、むしろそうやって色を変えてもらうことを楽しんでいた。
その中でも多くのライブをともにしていたのが渋谷毅さんだ。ほかの共演者と比べると圧倒的に先輩。とある方に紹介され、私は当時自分の最新作であった2001年リリースの『たねⅠ』というミニアルバムを自己紹介がてらお渡しした。それから何年か経って、まるで昨日のことのように「CD聴きました。おもしろかったです。ご一緒できるといいですね」といった旨のメールをいただいた。そのひょうひょうとした感じこそが渋谷さんだ。
2005~08年頃、お互いに呼び合いあちこちでご一緒した。それなのに一緒に曲を作る、ということをしていなかった。『二階堂和美のアルバム』や『ハミング・スイッチ』などのアルバムで演奏いただいた曲はあるけれど、ゼロから一緒に作った曲がない。そのうちに、とか思っているうちに時が経った。
今年は1stアルバムを出してから20年という節目の年でもある。今、なにかやるとしたらもうこれしかない。けれど基本的に受け身な二人。思いはあれど他のことが毎日を埋めつくして後回し。じゃあ毎日の中に強制的に組み込もう。ということで先にライブを組んだ。それが今回の公演だ。
『にじみ』の時にもリリースの前年「アルバム着手記念ライブ」というのをした。こういうことをしないと腰が上がらない。渋谷さんは別に新しい曲を作ることにはこだわっていないかもしれない。でも以前言われたことが気にかかっている。「もっと二階堂さんに合いそうな曲がありそうなんだけど」と。それってどんな曲なんだろう?渋谷さんはそう感じてくれたことさえきっと覚えていない。でもそれが知りたい。
二階堂和美
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2019.01.25
新聞の連載の話が来た時に、
「いやいや、とても務まりません」と最初はお断りしたのですが、
それを100回、2年3か月も続けられたのは、
いつか本にできたらなという思いがどこかにあったからだと思います。
本をあまり読まない私が本を出させていただくなんてほんとは恐れ多いんですが
10年くらい前、私に本を出さないかと言ってくれた人が二人いました。
編集室屋上の林さやかさんと、もとシアターイワトの平野公子さん。
さやかちゃんはエッセイを、
公子さんは、仏教に縁のない人向けに仏教を手ほどきするみたいなのを書かないか、
と言ってくれていました。
件の連載は、中国新聞の宗教欄でのエッセイ執筆。
瞬間的に、「もしこれをやり遂げられたら、二人の要請にいっぺんにこたえられるんじゃないか」と思いました。
始める前から担当記者さんに「これ、あとから本にしてもいいんですか?」って尋ねていたので、
途中途中「やめさせてほしい」と申し出た時も、
「二階堂さん、本にするにはもうちょっと続けないと…」
と逆に利用されてしまいました。
最初から本にする気だったんかい、ってなんか、いやらしい感じもするかもしれないですけど、
いつか、広島以外のみんなにも読んでもらうんだ、と
そういうモチベーションがないと続けられていなかった気がします。
「ブログ、全然書いてないけど、でも、書いてるから」って
いや、そんなの待ってくださっている方なんてほんの一握りの方だとわかっていますが、
その一握りの方に。
今回の本が届いたらいいなあと思っています。
もちろん、連載中から「あれは本にならんの?」と言ってくださっていた地元の方々、
そうした方々にも、気づいてくれるかわかりませんが、届いたらいいなと思います。
心休まる時のない日々でしたけど(休刊日という存在が与える安らぎたるや…)、
でも、こういう強制力でもないと、書くなんてことはどうしても後回しになるので、
この2年余りだけでも、日記(のようなもの)が書けた、というのは、
今となってみればありがたい機会でした。
せっかくのnakabanさんの書き下ろしの絵がほんの数点しか掲載できないことや、
本編も本数が絞られてしまったことなど、残念な面もあるにはあるのですが、
それでも、出来上がった本が数日前、手元に届き、
その質感、手にしっくり収まる感じ、などなど、
やっぱり、パソコン画面とも、プリントした紙で見るのとも、
もちろん当初の新聞記事で読むのとも、どれとも全然違って、
本として読める、その読みやすさっていうのか、気持ちよさ、ですかね、
あー、こんなに違うもんなんだなーって、ありがたく思いました。
それがいよいよ、地元を離れていく。
一過性のある新聞とは違って、本はだいぶん寿命が長い。
一度出た文章だけど、今改めて緊張しています。
広島のテレビで働く友人に、「ここまで正直に書く?」と言われていましたが
なんせその欄は「洗心」という面。心を洗いたい人たちが読む面。
かどうかは定かではないですが、
正直に向き合わないわけにはいかなかった。
近年、アルバムも出せていないし、新曲もあまりきちんと発表できていないんですけど、
この本は、ひとつのアルバムのような、そんな気さえしています。
とはいえ、積年の、こなせていない宿題の山はまだまだ崩せておらず…
やり遂げられないまま人生を終えてしまいそうな気もしています。
本年2019年は、(幻の)1stアルバムリリースから20年という節目の年ではありますが、
それはちょっとさておき、
コツコツ、やりたい。
なかなか集中して何かをするというのができにくい毎日ではありますが、
少し、肩の荷をおろして、気楽な感じでやっていきたいと思います。
今年の目標。「頼まれごとを引き受けない」。
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