二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2010.11.05

歌謡ショー〜意見書〜新しいアルバム〜布教デビュー

冷えますね。先週からダウンコートを出しました。
一昨日、通夜布教というのが広島の真宗学寮という昨年在籍していた仏教の道場みたいなところであって、深夜の3時頃に20分ばかりの法話をしました。法話というのは、仏教の話。法というのは教えのこと。通夜布教というのは、夜を通して仏法の話を聴くということ。いわゆるオールナイトイベント。昨朝のこれが私の布教デビューでした。
また、告知もしないままでしたが、こないだの10月22日@大阪ベアースのライブでは、実は目下制作中のニューアルバムに参加いただくベーシストの、ガンジー西垣さん(cinema dub MONKS)と一緒に演奏させてもらいました。その日の昼間に初めて一緒にリハーサルスタジオに入ってもらって、アルバム収録曲の初お手合わせをし、その足でそのままライブにも出てもらった。なんか久しぶりのベアーズで、最初意外とアウェー感あったけれど、すごく気楽にぺらぺらぺらぺら調子に乗ってしゃべりながらやらせてもらって、ガンジーさんという頼もしい相方を得、楽しい日だった。そのぺらぺらの中で「そろそろ布教してやる」と適当なことを言ってたら3日後に上記のオファーを受け、まるで聴こえてたのか、だれかがチクったのか、と思うような縁だった。
その時、赤松ちゃんに見せてもらった、DODDODOがTRASH UPという雑誌に連載しているという漫画がすごくよくて、やっぱりDODDODOは天才かもなあと思った。

そのベアーズの前日は、zepp大阪でのハナレグミのライブに遊びにいかせてもらった。ガンジーさんや曽我大穂くん、おおはた雄一くんなど知った方にまぎれて、永積くんとは初めてお会いしたんではありましたが、なぜかなんか前から知ってるような感じがした。割り箸の箸袋で永積くんのハナレ目度合いを基準に、そこにいたメンツのハナレ距離を測ると私がぴったりハナレグミだったからかもしれない。歌が上手だった。あの広さの会場で、マイク一本で2人で弾き語りするやり方、照明器具による狭いハコっぽいステージ作りなど、感心すること多かった。こんど私がそういうことをやっていたら、ハナレグミの真似です。
26日には、渋谷毅さんが広島に来られたので、みどりさんを連れて見に行った。当日昼間「今日きたときちょっと歌いませんか。譜面持ってきて!」といわれ、「つるべおとし」と「レールのその向こう」を歌わせてもらった。渋谷さんのピアノで歌わせていただくのはいつぶりだったろう。少なくとも2年は前だ。神戸のビッグアップルでできて間もない「めざめの歌」をピアノバージョンでやってもらった覚えがある。でもその後に一度、やはり深夜にアケタの店へ渋谷さんのソロを聴きにいったとき、せっかくだから歌って、とその2曲をやったことがあった。あれはいつだったか。ともかく久しぶりに聴いた渋谷さんのピアノは、素晴らしかった。もう最初の一音から、わあ、と耳がよろこんだ。前よりあんまり酔ってなくみえた。やっぱりいいのだ。客観的に聴くというのはいいものだ。
さらに遡り、10月16日のさくらぴあでのライブはクラシック向けの音楽ホールでセットリストの半分は懐メロでお送りしました。なんだっけこれ?誰だっけ私?と頭をよぎらないでもなかったが、嫌いでもないこの感じ。その前日には、隣の大ホールにて二葉百合子さんのさよなら公演が行われていた。テレビで聴いてもあれだけうまい方は、生で聴いたらさぞかしうまかったろう。聴いてみたかったが完売だった。80歳を機に「元気で歌える今こそが自らの幕を降ろす時期である」と引退される。
そのさくらぴあの前々日に、ここで上関原発反対広告のための呼びかけを書かせてもらった。おかげさまで、目標額を達成し、広告を出すことが出来たそうです。ご協力いただいた方々、ありがとうございました。
広島・上関リンク
そのニュースに勢いづいて、山口県知事に意見書を送った。その文を恥ずかしながらここに載せようと思い「はじめての意見書」とブログタイトルをあげつつも、あまりにも稚拙すぎるので保留しているうち、本日、第一線のジャーナリストさん方の声明文が発表されていることを知り、あ、載せるならこっちだ、と思って、さきほどNEWSに転載させていただきました。是非読んで頂いて、賛同、転送してほしいです。よろしくお願いします。
数日前のテレビニュースで、菅総理が外国に原発を売りつけているのを見て、またがっくりきてしまったけれど、あきらめられない。今日は映画「みつばちの羽音と地球の回転」を横川シネマに今一度見に行ってきた。映画ではスウェーデンでの、自然エネルギーへの取り組みが具体的に紹介されている。政府に、原発ではなく、あたらしいエネルギーの研究にどうにかして切り替えてもらいたいと切に願います。

10月18日付で山口県知事宛に送った、稚拙すぎる私の文章も恥さらしに一応載せておきます。布教もライブも、恥をしのんで出していきながら、成長できればと思います。
_____________________
山口県知事殿

はじめてご意見申し上げます。上関の原子力発電所の計画の見直しをお願いいたしたく存じます。なにはともあれ、現在の中国電力の田ノ浦での作業の一旦停止を早急に申し付けてくださいますよう、強くお願い申し上げます。今日にでも、明日にでも、まずは一旦停止を、是が非でもお願いいたします。
自然破壊について、また核廃棄物の危険性について、中国電力側と建設に反対されてる方々との言い分が違いすぎます。このままでは、問題の解決は望めないように見受けられます。
県で、独自の調査をしていただけないでしょうか。第三者的な視点が必要だと思われます。電力会社の調査報告を鵜呑みにせず、反対派の意見に真摯に向き合っていただきたいです。原発の建設によって自然破壊がおきることはあまりにも明白です。隣県の県民として、また多くの年月を山口県で過ごしたひとりとして、山口県がこの貴重な美しい海を、アピールする代わりに、むやみに破壊されようとしている現状に無関心であることは、非常にもどかしく、悔しくてなりません。
今の祝島のみなさんの身体を張った阻止行動を、これ以上続けさせないためには、県がいったん中国電力に、作業の停止を申し付けてくださるしか無いと思います。30年も前の古い建設計画です。見直されないことのほうが問題だと思います。このまま押し進めることはどう考えても理解できません。どうか、今一度、代替エネルギーの研究や省エネ対策など、計画の抜本的見直しを強くお願いいたします。
どうか、未来の子どもたちのために、筋の通った大人の姿を見せていただけますよう、知事に切にお願い申し上げます。

二階堂和美(広島県在住)

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2010.10.14

緊急呼びかけ

mama!milkの「parade」をデッキにかけた。一気に部屋の空気が丸くなる。
さっきまでなにもかけずに書きかけていたが、なんだか考えが窮屈になった。
本来なにかするときにBGMというのをあまり要しない生活習慣なので
ともすると一週間に一回も自発的に音楽鑑賞するということがない時も多々ある
って書きながら、やっぱり音楽かけながら作文てできないものだなあと早くも挫折
そっちに神経が持って行かれすぎる
もっとぐっと来ないものに変えよう

といってストップすると、さっきまで何ともなかった静寂がすごくさみしく感じるから嫌だ

でGOLDMUNDにしてみる

今年の春、米国人タラジェーンオニールとのツアー&レコーディングを仕切ってくれた音楽ライターの福田教雄さんが作っている雑誌「Sweet Dreams」の第4号が先日出版された。私はこの中のコーナー「はじめる人」で10ページを割いてもらっている。すごい、インタビューで10ページって過去最高かもしれん。なにをはじめたかというと「二階堂和美さんがはじめた上関原発建設反対」。
なのに、わたしはたいしたことはしていない。恥ずかしい。
知人からメールがまわって来た。
「COP10にむけて上関原発計画についての意見広告を英字新聞にだそう!!」というもの。
毎日新聞の記事
わたしも一昨日、遅ればせながらカンパしました。
これを見てくれた方が一人でも一口でも、カンパしてくださったらと思って書きます。
受付は17日までのようです。っつっても土日だから振込できるの明日の金曜までってことかな。呼びかけが遅くて私はほんとにダサい。でも18日でもたぶん間に合う。
広島・上関リンク公式ブログ(呼びかけ人一覧更新中)

わずか一日の新聞で消えてしまうお金。
でも、現場に行って阻止行動も出来ず歌など歌う準備をしている私に、簡単に出来るせめてもの「反対」。

ちょうど昨日今日明日あたり、上関の建設予定地現場周辺はざわついている雰囲気。
電力会社が卑劣なやり方に出ているみたい。
祝島島民の会ブログ

土曜日、わたしは普段やらない音楽ホールでの2時間のワンマンライブがある。
それで結構頭がいっぱい。あしたは通しのリハーサル。
今、怒りの感情を抱きたくはない。
けれど、これも今、ここで触れないわけにもいかない
さっき夕方、抗議の電話を中国電力にかけた。
以前かけた時は「どうしてそういうことするのか?」と問うたりしたので
けっこう厄介な議論になってしまったが、
抗議の電話は、実際2分もあれば済むんだ、と今日は知った。
「上関の原発計画への抗議です」
と言ったら担当につながれて、
「昨日汚水を流したと聞きました。やめてください」
「夜間に作業しない約束を守ってください」
「30年前のその古い建設計画自体を見直してください」
とか言えば
「ご意見として承りました」とかなんとか言われて終わり。

なんの手応えも無い感じで肩すかしをくうくらいですが
多分それだけで、苦情が寄せられた件数には数えられるはずで
何にもしないよりは、小さな一助にはなるんだろうと思う。
世論って、そうやって盛り上げるしか無いのかもしれない
「抗議の電話が殺到」
とかになったらすこしは変わるんじゃないか
むしろ電力会社より、山口県に抗議を殺到させたほうがいいかもしれん。

映画「ミツバチの羽音と地球の回転」の中で、
上関原発反対運動のリーダーである山戸さんが言っておられた
自分らが時間稼ぎしている間に、情勢がかわったらいいと思ってやってる、
というようなこと。
はっきり言葉を覚えていないので、もう一回みなければならん。
いま全国で上映中です。是非是非見てほしいです。広島では横川シネマで16日から。

と書きながら、左の薬指でパソコンの端に見えた1ミリくらいの小さい虫をつぶしてしまった
あ、と思って親指で払ったら どこへ消えたかわからなくなってしまった
なんてはかない命だろう

ちょっとくらい善行をしたって、善行したわ〜私、って思ってる分、
悪行を悔やんでいる人より悪いと仏法に教えられている
だから抗議活動って難しい
抗議電話して反対運動した気になるのもまずい。
だけど、映像で見るその電力会社の言い分や姿勢を通して
子どもに何を信じさせたらいいのだろうかと日本の将来が不安でたまらなくなる
国会中継も
アメリカが核実験をしたというのも
子ども手当も
どうしてそういうことがまかり通るのか
世の中不思議なことだらけだ

だけどあきらめたらいけんと思う。

連続テレビ小説のヒロインみたいに体当たりは出来ないにしろ、
時には「常識的」のほうがおかしいこともある

常識的には、自分に直接関係ない事件に首を突っ込んで軽はずみに抗議の電話なんかしない人がほとんどだと思うけれど
私はしてしまった。

チリの救出劇を見てる方が、そりゃあ感動するんだけど
音楽のことだけやれてたらそりゃあいろいろ進むんだけど

うっかりすると、すぐ棚に上げてしまう
普段生活していたら、パソコンを開かなかったら
新聞を開かなかったら、ニュースを見なかったら
全然何にも知らずに、毎日が送れてしまうのだもの
知りたくなんかない

お説教っていうのはそういうことなんだろうね
耳の痛い話聞かされるのが、やっぱりそもそもお説教であるんだよね
仏法を聞くことをお説教 ていうのは、そういうことだよね

でもちゃんとほんとに仏法のなかに身を置いてたら
すごい歓喜に包まれるって感覚も、一応言っておこ

無駄話が長くてごめんなさい。
用件は、英字新聞広告掲載用のカンパの呼びかけと、抗議の呼びかけです。

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2010.10.01

初めての新調デスク

ライアン・フランチェスコー二の新譜をデッキにかけた
この夏、自分の部屋のエアコンが壊れ、修理に来てもらおうにも散らかりすぎていてまずは片付けなければ人を通せない、片付けしようにも暑すぎる、でなかなか手が付けられなかったのを、寺の修復工事に通ってくれていた大工さんがある日、廃材もらったから何かいるものあるか、あれば作ってあげるという話が浮上し、ならば机が欲しい、ならば置く場所の寸法を測る、ということで、明日まで待って、と一晩でなんとか人を通せる状態にし、そしたら次の日もう机が出来上がってきて、え、もう設置、わー素敵、ここにこんな机がきたらここにこんな棚が欲しいよね、じゃあ作ってあげよう、いや待って待って、もうちょい考えさせて、でも工事が終わるもう大工さん来なくなる、で尻を叩かれながら、6年間「とりあえず」でやってきた自分の部屋の、とりあえず奥半分をなんとか整え、よしエアコンの修理に来てもらおうと電気屋さんに電話をかけたら、エアコンが普通に作動、なんだ?まあいいや、で今日、ギリギリになってアンプやスピーカーを置く棚を作ってもらい、久しぶりに、いや、とりあえずでない設置になってはじめて、まともにCDを聴く。というわけでライアン。
ライアンの1stが素晴らしかった。人にあげたくなるCD。5枚買った。買って人に配りたくなる。いま聞いている2ndはまた違うな〜

今日で大工さんも終わった。2ヶ月、朝から晩まで、一番暑い時期に毎日来てくれていた職人さんたちにものすごく元気づけられた今年の夏。お寺の山門と鐘つき堂が、数年前の地震でずれてて倒れそうだったのを直してもらったのだが、瓦こそ新しくなったものの、地味な変化で、ぱっと見、わかりにくいかもしれないが、古いものを生かしながら、その歴史に思いを馳せつつ修復して行く感じは、むしろ新築するよりもずっと味わい深いものがあった。
大工さん、板金屋さん、瓦屋さん、左官屋さん、塗装屋さん・・・皆さん同世代ちょっと上の地元の方で、自分が中学生のときの生徒会長さんだったり、教員だった母の教え子だったり、ヤンキーの先輩だったり、みなさんご結婚がお早くて、もう大学生、高校生の子どもがいたりする。この10年20年の過ごし方の違いに気が遠のく。私はいまごろになってようやく地元に戻って来てここで生きていこうとしているが、ここで同世代の方が地域密着型で働いているのを目の当たりにし、ものすごく力をもらった。みんな自分のところの名字そのままで、「長光建築工房」「児玉板金」「本田瓦店」とかいう具合で、その直球さが美しすぎて心打たれた。ちなみに「カクバリズム」も角張さんが社長なわけで、そういうのが私は好きで、最高だと思う。責任ってそういうところからおのずとついてくるものなのだと思う。みなさんとてもいい仕事をされる。類は友を呼ぶ。

ゲゲゲの女房も終わってしまい、新しい連続テレビ小説が始まった。
暑さ寒さも彼岸までとはほんとによく言ったもので
しかしながら、この秋の彼岸が一番わたしは哀しい。
前にもなにかで書いたことがあるが、私は日が長いのが好きで
わたしの気分のウキウキ加減は、日照時間の折れ線グラフとほぼ同じなので
これからひたすら下降の一途だ。
だから冬は無理矢理に活動したほうがよい
アルバムを作るのだ
こんな哀しいときこそ曲を作るのだ
ライブで憂いを悦びに変えるのだ

東京と広島でワンマンが決定しました。
アルバム制作着手記念ライブです。
そんなのする人いないと思うけれど
作っている最中の一番熱い時にライブもやってしまおうという企画です。
尻を叩かれないといつまでたっても引き延ばすわたしにはこうでもしないといけなかったのでしょう お恥ずかしい話です
好きなことなら放っといてもやろうもんですが
自分のやりたいことは後回しにする性分なので
「やりたいこと」を「やらなければならないこと」にしてしまわなければならないわけで、「やらなければならないこと」ならまあ優先的にやってもいいか、と
小学校に上がるときもデスクが親戚のお下がりで
これが人生初の新調デスクで、
とはいえどこかの床として100年くらいを経た木だそうですが
初めて自分の机ができた喜び
机に向かうことが増えそうです
創作意欲がわいてくるというものです
本気がでそうでこわいです
もはや季節は関係ない

さて、『solo』が発売されてから、会場売りから数えれば8が月以上が経ってしまったのですが、この『solo』について、コメントしようしようと思いながら、月日の経つのは早いもの、触れないままに、新しいアルバムの話に移ってしまいそうな気配。
書いてしまいたいところですが、ちょっと眠くて眠くて、さっきから涙がこぼれてこぼれてとまらないので、また明日にでも。写真も載せたいと思っていましたが、また明日にでも。追って 追って 追って 

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2010.08.04

上空より 広島 青森

そういえば、青森。
・ニカセトラのツアーの時、金沢から札幌へ向かう飛行機から見た青森の半島のラインの美しさにものすごく感動したこと(津軽半島もだけど、とりわけ下北半島の反りたるや見事すぎて信じがたい光景)
・同じく鳥海山(と乗務員さんは言った)の上空から見た雪模様の美しさに感動したこと(雪の白と、冬の土地の藍色のコントラストが版画みたいで信じがたい光景)
・友達のakamar22さんが、木村秋則さんのことを紹介した本「奇跡のリンゴ」をくれたの読んでものすごく感動したこと(押し付けがましいのが魅力akamar22。)
・その中ででてくる「お岩木山」は、「りんご追分」や「帰ってこいよ」などの名曲でその名を「お」付きで昔から刷り込まれていて一度見てみたいと思っていたこと
・当時、松山ケンイチさんが気になっていたこと
などが同じ時期に重なって、
翌春に出演させてもらったアラバキロックフェスティバルの翌日、広島からはるばる東北まで来たのだからと足を伸ばさせてもらって、青森に一人旅をしに行った
その青森。
その木村さん。
そのお岩木山。
の、「岩木遠足」。
まさか木村さんのりんご畑にほんとに行ける日が来ようとは。
8月7日。
とても楽しみにしているイベント。

そのとき一人旅の2泊3日は、ほとんと人と会話をしなかったので
顔もほとんど動かしてなかった
帰りの広島空港からのリムジンバスでふとバックミラーに映った自分の顔がものすごく老け込んでいるのにぎょっとして、そのショックが印象深すぎて旅行の思い出を忘れそうだが
やはり、旅館の温泉で一緒になったおばさんも
「岩木山って歌によくでてくるでしょ?だから一度みたくなって」と言っていたし
下北半島の果てへむかうバスで隣り合わせた女性も
「私、松山ケンイチくんのファンで、一度彼の故郷が見てみたかったの」と言っていたし、
ああ、一人旅といっても、旅の動機が人とかぶっていると、結構客観的になれてしまう
と思いました
鏡を見るまで、一人旅最高だな、と思っていたのに、
鏡を見たら、一人旅恐ろしい、と思った

それはともかく、
今回はなんてったって、木村さんのりんご畑に行ける!(はず・・・)
すごいなあ すごい縁がめぐってくるものだ
不可能と言われていた、りんごの無農薬栽培を成功させた方です

今回は、ライブで行くので、たくさんの人に会えるから余計な心配は要らなさそう
広島からみどりさんも一緒に、羽田で乗り換えながら
上空から地形を眺めて確認して遊ぶ用の地図を持って(機内誌の地図ではあきたらず)
飛行機ってほんと、これするために乗る、って考えてもいいってくらい、スペシャルな乗り物だよね とつくづく思う
でもこわいからあんまり乗りたくない
やはりいつも乗る時は死を意識する

あさって8月6日は原爆記念日です。
朝、蝉の鳴き声が響く中、
65年前のその時に思いを馳せる
戦争が、争いごとが、なくなることを願って
なにができるかしら

8月6日に広島の上空へあがるのは初めて

空からみる

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2010.08.03

藤井よしえという生きぼとけ

自転車におばさんがよく傘ホルダーをつけているが
ある日、私と父が兼用している自転車にそれがついていて
うわ、なんてことするんだ、こんなおばさんくさいもん勝手につけて
と思っていながら数日後のある朝、試しに日傘をつけて出かけてみたら
うーむ。なんて便利なんだろう。
こりゃおばはんたち全員つけるはずだわ
おかげで、日差しの強い夏でも自転車に乗ることが増えました
しかしながら、坊主のあの黒い衣は暑くてかなわんです
あれを、和服でなくて洋服の上に着ることは許されているのですが
その下に着る洋服というのが、透け透けなのでなかなか、モノを選ぶわけで
なにを着てみても、特に女性の場合はシャツにネクタイっていう定番がないので
おかしい。とにかくおかしい
あの衣をまとったからといって、いったいなんだっていうんだ
医者が白衣を着てないとなんかダメなように、
坊主もあれを着てないとなんかダメなんだろう
なんかダメなんならなんかダメでもいいような気もする どうせダメなのだ
まあそんなひとり売り言葉に買い言葉みたいなことはおいといて

ライブの後に、本人的にどうだったのか書いてよ、みたいなことを友人に言われた
それは、めんどくさいなあ
実はほとんど反省しかしていない
あとは、やっぱり当たり前すぎるけど感謝の気持ち
こういうのは書くとなんか嘘っぽいからあんまりわざわざ書くのは躊躇われる
来てくれていた皆さんにはその場で伝えたつもりであり
しかしながら、あらためてお礼状を書くという風習があるけれど
あれはご丁寧ですね
その場で別れ際によくよくお礼を言って帰ったのに
なんか家に帰り着くとまた、ありがとうございましたという気持ちがこみ上げる
そしてなにかお礼の品とか届けたくなってしまう
でもたまっていた仕事に追われて出来ないことの方が多くて、その気持ちはまるで無かったことになってしまうけれど、
ほんとはあったのです ちゃんとその感謝の念だけは送っているつもりだが
あ、ほらなんかやっぱり、言い訳くさい
しかし、テレパシーとかを信じているつもりは全くないが
不思議と、その人のことを思っていると、その人から手紙が来たり、
その人の書いたものに出会ったりする。そういうことが最近多いので
なんだか、じゃあ、伝わるかもしれないから、念じるだけは念じておこうと思ったりする 「たりする」のはもうオザケンの頃の時代の言葉だと思っているので極力使わないようにしているが、「思ったり、思わなかったり」する時はやはり便利で省略して使ってしまう。ちなみに「全然OK」も「全然問題ないです。OKよ」のダメ押しを、間を省略した形であろう。

ということで、では近いところだけでも書いておきましょう
ラマに行ってきました
その前の日の広島FMのコメント(毎週ではないけれど「庄司悟のリクエスト魂」という金曜夕方の生放送の番組へボイスメールを送っています)で、「夏フェスは嫌い」「行く人の気持ちがわからない」とかさんざん言っておきながら、結局二日間ほとんど居た。
えー そんな暇があったんだっけ?
自分の車で行ってたくせに、つい本番終わりでビールを差し出されて飲んでしまった。
ので、移動できず、冷ますための時間を過ごした。
二日間とも、朝一の、neco眠るとYSIGへ、ゲスト出演させてもらった。
自分の出演は辞退してもゲストは楽しいからいい
野外の暑い中で二階堂和美の弾き語りなんて全然聞きたくもない
基本的には私は音楽は音楽に集中して聞きたいので
ひとりで聴きたい ライブを観に行く時も、たいてい一人で行くし
だれかと連れ立って行っても、だいたいふらっと離れる
映画もそう 美術館もそう 人と一緒では全然集中しない
でも、わーわーやるライブは、別 そういうのも好き
まあ、別物ですね 家のカレーと タイカレーが違うような

とにかく、ゲストでやらせてもらうのは
ただただ楽しく嬉しいです
まあ、楽しいのは自分が大好きなバンドの時だけですが
今回は大好きなバンドだったからつい行ってしまった
それにしても、朝一番ってむしろいいですね
いちばんいいなあと思った
まだ体力ある で、飲んで過ごす。冷まして帰る。
うわーだらだらだ なんだこれ。これが夏フェスなん?

途中でレモンを買って会場に行こうかしらと企みつつ
どっちの日も遅刻してギリギリに会場入りしてしまって行けなかった
でも、会場の前の道を歩いていたら
レモンが落ちてました
見上げたら、それはレモンの木だった
あ、これ?レモンの木ってこんなんなん?!へー
瀬戸田は街路樹がレモンなん?へーすごい
さすがレモンの生産量日本一の瀬戸田
YSIGの本番中、ごそごそ木の下にもぐって拾って
YSIGのメンバーの数だけ拾って
みたら服にとげがいっぱいささっててギョッとして
なにをやっとるんだろう?本番直前に と思いながら
木にはまだ青いレモンがいくつもぶら下がっていて
わたしが求めていたのは、小ぶりの丸い、ピンポン球とテニスボールの間くらいの大きさのものだったのですが
落ちているのは結構大きいのばっかでした
そもそもは、前の日、髪を切りに行って
「岡ひろみ」(『エースをねらえ』のヒロイン)をオーダーして
それならテニスウエアでしょ、などと美容師のすーちゃんと悪のりしながら
necoの時、ラケットでレモンをスマッシュして打ち込む光景を思い浮かべていました
レモンが落ちてるのを見つけたのは、二日目の朝で
レモンの大きさも、まともに大きかったので
こんどは、サイトウJxJxくんとの「テレビジョン表紙」が浮かびました
もともと、わたしにとってJJは、しゃべり方が完全にアイドルで
誰のしゃべり方なのか、未だにピタッとこないのだけど、
トシちゃんとかマッチとか、そういうへんの
シャラシャラっとした、素人じゃない、タレントの声だと思っている。
ちなみに落ちてたレモンは、拾ったあと、在日ファンクの待機している控え室で洗って、ビールが冷やしてある氷水の中で浮かべて冷やしてから投げましたよ
中身はどうだったのでしょうねえ だれか食べたかな?
完熟して自分で落ちたものだと思いますから、露地ものならぬ路地もので、おいしかったかもしれません
昨日、その名残で、普通にスーパーで地物レモンを買いました。蜂蜜漬けにして皮ごと食べるのが好きです。

で、ラマは、ランキンタクシーさんとか、スチャダラ兄さんたちとか、在日ファンクとか、旅人くんとか、たくさん素晴らしい芸を見せてもらって、なんかすごく満喫してしまい、
しかも、初日夕方は、ちょっと足を伸ばして今治まで、私が一番好きなコーヒー屋さんに一杯のコーヒーを飲みに行ってしまったり、
そしたら居合わせた友人が突然だったのに夕食に招待してくれたり、
その道中、しまなみの大島大橋からチラ見した瀬戸内の夕暮れ風景が素晴らしく、
まるで西国極楽浄土。と、この島々山々を背景に金色に輝く水面を見る度いつも思う。

というわけで、たまっているブログをかいてしまおうという当初の課題は全く消化されぬまま帰ってきました
さすがに帰りの道のりはぐったりとして辛く果てしなく、途中のSAのベンチで何度も寝ながら、なぜかやけっぱち感に溢れていました
翌日はラジオ体操も休みました
今日は復活して行きました
昨日は今週5日の平和コンサート、および青森の岩木遠足の練習をみどりさんとしました。
5日のライブは告知をしていませんでしたが、会場であり主催でいらっしゃるお寺の方針で、無料です。「庄司悟のリクエスト魂」を生放送している、広島市府中町のダイヤモンドソレイユの近くのお寺、久蔵寺さんです。
ご近所の方々が主かと思われますが、どなたでも大歓迎とのことですので、よかったらどうぞおいで下さい。線路沿い、コンクリートのピッカピカの新しいお堂です。うちとはえらいちがいです。夜7時から、休憩はさんで30分ずつ。子どもたちもいるのじゃないかとふんで、絵かき歌も、ホワイトボードでちょこっと披露予定。平和コンサートと銘打ってあるのは、ここ久蔵寺さんが、原爆で亡くなった多くの方を思って建てられたお寺であるということに由来しているそうです。私のおじいちゃんの弟がそのお寺にお婿さんに行ったらしい。だからそこの家のみなさんも二階堂さんです。平和コンサート、というタイトルでライブをやるのは始めてなので、いったい何をしたらいいのかと構えてしまうけれど、普段から平和を願っていないわけがない、とも思い、いつもやっている曲ももちろんやります。
老人福祉施設とか、祝島のおばちゃんたちとか、夏休み子ども合宿とか、岩城遠足とか、カフェライブとか、夏フェスとか、やらせてもらう場は随分種々様々ですが、そこに歌が要る、あったらいいな、ということなのだろう。
どんな歌が?なにがそこにあったらいいのか?
予想しながら選曲する過程がもっとも苦しい時間であります。
そもそも人前にでてなにかするのは苦手であります。
しかしながら核兵器は廃絶したいです。
核爆発を利用した原子力発電所もたってほしくない。
被爆する人をわざわざ生むのはやっぱり広島に育った人間としてものすごく抵抗があります。
他の方法を考えたい。

以前、「仕方がない」という言葉が嫌いだという友人がいて
わたしは「仕方ない」「しょうがない」を割とよく使っているような気がして
なんかすごく悲しい気持ちがした
だって、仕方がない時は ほんとに仕方がないのだもの
仏教でいうところの「因縁」がそうかもしれないなと思う
映画『息もできない』で家や家族のしがらみに、えも言われぬ共感を感じた今の自分には、その因縁を受け入れるというところに強さを感じる
受け入れて、乗り越えるというパワー
仕方がない、はあきらめではある
だけど、常に後ろ向きとは限らないのである
じゃあどうするか。
変えられないものもある ということを知る
それが人生の歩みであると思う
変えられない どうにもならない
歩みを進めて行けば、そんなこと、そんなものばかりと思い知らされる
だが、そこで発想の仕方次第
アイデア次第なのである
仏教は ひとつのナイスアイデアだと私は思っている

藤井よしえという人がいる
彼女のバンドのトリビュートアルバムが出来る
今、彼女は生きている。福岡で生きている。闘病中だ。
わたしのこのインタビューをしてくれた人だ。
タイムマーケット バンドファイル
かなり初期。2002年2月。
今日、久しぶりに読んだ。
彼女と出会ったばかりの頃だ。
それから、時々しか会ってはいないが、ニーハオ!やplace called spaceの大木さんらと、東京や大阪、福岡でイベントに一緒にでたり、呼んでくれたり、
「二階堂和美のアルバム」がでたときには、彼女は結婚して子どもも生まれていて、
旦那さんが料理を作っているカフェ、gigiもできていて、
gigiと、タイムマーケットのイベントと、両方で発売記念ライブをうってくれ、
彼女のうちに泊めてもらった。
まだ幼い娘のはるちゃんと、深夜にロシアアニメのDVDを一緒に見たりして遊んで
夜中にこんな幼子が起きてていいんかいな、はよ寝かさな、とか説教しながら
彼女ら親子3人が寝ている普段のベッドから一枚引きずりおろして
「これ使って」と布団を渡され、わたしは彼女らのにおいに包まれて眠った晩。
藤井よしえとは、数年に一度、まだ数えるほどしか会わないのに
他の人にはしない個人的な話をすんなり話せてしまう人だ
「よしえちゃんは、シャンソンとかさ、なんか、飲み屋のママみたいな歌歌ったらいいんじゃないん?」とかなんとかい言った覚えがあるが
彼女の作る歌はとても乙女だ。
ソロも、バンドも。やっていることも。
彼女は店をいくつも運営していて、すごく大人だ。
すごく大人であり、乙女である、希有な人。
すれていそうで、すれていない。
わたしのほうがよっぽどすれている。
わたしは彼女に会うと、自分が汚れているなあと思わされる。
彼女はいくつも私を励ます言葉をくれている。
「自分に似合う服、うまいこと選んどうよね」
「二階堂さんの歌詞、すきたいね」
方言のいいまわしは違うかもしれないが、私の記憶の中ではそんなような響きで残っている。
わたしにとって彼女は、どことなく、仏様と似た役割を持っているのかもしれない
自分の心に鏡を向けられるような
彼女の純粋さが、ぐさーと、いや、すーっと かな、
だから、なんでも話せてしまっていたのだろう
しばらく会っていない
その周りの友達からも縁が遠くなっている間に
彼女はガンにおかされていた
知らなかった
半年遅れて知った
彼女の日記を全部読んだ
私はまた、この非常事態に、自分が励まされてしまった
やっぱり彼女の存在は仏っぽい
ちくしょう
どうにもならないこともあるけれど
彼女を見ていると、そこからの歩みが、その人の底力 その人の本質のような気がする
いや違うか、彼女は、そこまでも既に その人のまま、ほんとにきちんとやって来ている
だけど今感謝に溢れている彼女に、わたしはやっぱり感謝で一杯

私がトリビュートアルバムで歌わせてもらった曲は
よしえのソロのアルバム「familia」からの「sweet wind」。
彼女が、自分の家族への思いを歌ったものだと思う。
でも今彼女は、家族だけじゃない、友人知人、みんなに向けてこの歌を歌っているはずだ
と、わたしは勝手に思って、勝手に歌った
勝手に歌詞もちょっとアレンジさせてもらった
歌というのは、作ったときにはそこまで想像していなかった、というような深い意味を、図らずも持ち合わせていることがある
後日、後年、それに気づくこともある
よしえもきっと、気づいている
わたしはそれを やっぱり勝手に、歌った
このアルバムの売り上げは、よしえの家族に渡される
ひとりでも多くの人に買ってほしい
私たちにできることを考える
どうにもならない、受け入れないといけないところから
わたしたちにできることを考えるのが人間のわずかな知恵だ
苦難は乗り越えられる
気持ちのありようは、変えられる
きっかけは、人それぞれいろんなところに転がっている
よしえちゃんの存在、今の状況も、わたしにとってすごく大きなきっかけとなっている
音楽家、芸術家、宗教家は、主にそれをやるのが仕事なんじゃないか。
歩んで行くのは本人だから、
きっかけくらいにしかなれないけれど
孤独な歩みではあるが、
孤独な歩みを、そばで照らす光があることを知ることはできる
それは、生きてこの世に生まれたもののみが得られる出会いである
なんまんだぶつ
「感謝しかない」というよしえの言葉が深く響く

よしえちゃん、まだまだ生かされてる。
よしえちゃん、まだまだ生かされる。
生かされてるうちは、生きてる。
生きてるうちは、生きてるよ!
よしえちゃんが今生きてる姿が、どれだけの人を励ましていることか!!

tokushu_top01.jpg

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2010.06.29

今日さらに

ヲルガン座にて
例の、絵描き歌をやろうかしら。なんて。
広島初登場なるか。

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2010.06.25

息もできない

もう10日くらいまえだが、
横川シネマで見た映画「息もできない」が素晴らしかった
こんなにいい映画が過去にあったか?と自分の貧弱な映画遍歴を問うても仕方がないが
私の中では、最高だった。
あまりによくて 帰りに駅から家まで遠回りして帰った
たいしたことでもないが
過去さかのぼって10年くらいおぼえがない
10年前はここに住んでいなかったが たかだか地元に戻って5年あまり
駅に出るときは、自転車か 車だ
たいてい大荷物
歩いて帰るってなんて優雅なんだろう
すごい贅沢
町の景色が ああ 美しい
この季節
この日は 普段より、いい靴を履いていた かかと高めの革靴
靴が変わると 歩き方も当然変わって そうすると顔つきも変わる
人は靴ひとつで、人格もかなり操作できる
表向きだけだが、その印象でそれなりに社会は成り立っている
だから注意もしなくてはならない 今日なにを履くのか?
映画がよすぎて、人に会いたくなかった
家族のもとに帰ったらまた 現実に戻される
しかし この映画の しがらみが また 家族
切っても切れない 家族との
ううう
ううう
思い出したらこみ上げてくる
ほんとに いい映画だった
主演の役者が、脚本、監督、編集でもある
わたしは はじめて見る人だけれど
パンフを読むと、ひとつ年下のようだ
やばい 同世代 いや、でも、そうだと思ったな
すばらしい
素晴らしいものに出会うと、とても元気が出る
素晴らしいものでも、やる気をなくすこともある
素晴らしくないものに出会ってやる気をなくすこともあるし
素晴らしくないものに出会ってかえってやるべきことが見えて晴れやかになることもある

「息もできない」はいろんな感情をひっくるめて 引き出してもくれ、慰めてもくれた

おわらないラスト10数分に、ほんとに感嘆した
ここでおわるんかな、と思う箇所か2回あった
でもまだ映画は続いた
あそこで終わっていたら ここまで尊敬しなかった
あそこで終わっていても 十分いい映画だったが
その先、を 見せてくれた数少ない映画
問題提起して突き放しておわるのは ままある
そこで終わらない この映画の素晴らしさ
現実を、その段階まで突きつけてくれて、ようやく 私は慰められた
そうだ その循環
容赦ない
そして人生はつづく

余韻は、風呂上がりもつづいて
缶ビールを片手に、汗を引かせに寝間着のまま川土手
まだ じーん としている

すぐにブログにかけば、まだ あと数日、上映期間が残っていたものを
いまさら書いたのでは もう見れないじゃないか
なんて不親切な情報なのだろう
ざまあみやがれ
とは 酔ってるときのうちの父親の口癖
ニュースをみながらよくそんな暴言をはきまくる
坊主として最低
ヤン・イクチュン監督。
「このもどかしさを抱えたままでは、この先 生きていけないと思った。すべてを吐き出したかった。」

いよいよアルバムの録音にとりかかった。
「またおとしましたよ」以来 自分の中に抱えているものを 吐き出したい。
「二階堂和美のアルバム」「ニカセトラ」「solo」それぞれで、宿題をすこしずつ消化してきたが、私の場合は一作にすべてをこめるというやり方はできていない
それは靴を選ぶようなものかもしれない

宿題 と思うのは 次に進みたいからだろう
自分の中ではどんどん先に進んでいる しかし足下がおぼつかない感じなのだ
だから、宿題はある程度目に見える形でやっておかないといけない
不器用ゆえ
自分のためだ
ライブはその場で消えてゆく
わたしは声を出しながら聞いている
それを客観的に体験することは不可能だ
録音物は、みんなと同じ立場で接する権利というか可能性のような希望があって
フェアな感じがする

最近 気に入った鞄を買った
ずっと、もらいものを使っていたりしていた
あたためていたものはいつも、飛び入りに先手を打たれて後回しにされる
用が足るものがあるのに 新しいものを買うのは贅沢だと
しかし 贅沢は 時には必要なのかもしれない
心まで貧乏になってはならん
ゲゲゲの女房で水木しげる役の役者さんがそんな台詞をいいながら
貧乏なくせにプラモデルを買って作る
この数日 星野源くんの役、主人公の弟にスポットがあたっていて、長く出るから嬉しい 身内贔屓

それにしても「息もできない」という日本語翻訳はどうかと思う。
原題は「トンパリ」直訳すると「くそバエ」らしい
源くんのソロのうたには「くそ」がよくでてくる

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2010.05.22

あすのYSIG@広島

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2010.05.20

一期一会

先日、東京は面白いものがいっぱいで卑屈になるなんてこぼしてみたが
よくみたら、私の住む広島もなかなかである

なんせ、ANVILのライブがあった。ジャパンツアー3カ所が、東京、大阪ときて、なぜか広島!広島のイベンターさんが映画に感動したことによってもたらされた、われわれ広島住民の幸縁。楽屋にてまさかの記念撮影!

広島現代美術館で開催されていたウィリアム・ケントリッジ展もとてもよかった。木炭画によるアニメーションがすばらしかった。襲いくる眠気と戦いながら何度も仕切り直して食い下がって見た。ものすごく時間がかかったが、見応えがあった。

そして今週も広島市内はライブラッシュである。

明日21日は横川シネマの企画でマキタスポーツさん、
明後日22日はクアトロでわがレーベルメイト、ユアソングイズグッド!新しいアルバム『BAND』をひっさげてのワンマンツアー!いや〜待ってるよ〜。
来週26日はヲルガン座でASA-CHANGのタブラボンゴナイト!すごい。ヲルガンのあの近さでASA-CHANGのトーク&ライブが見られるなんて。
28日はトクマルシューゴくんもくる!こちらはもう席がないみたいだけど

前に、たまたま自分も金沢にツアーで来ていて、SAKEROCKのライブを金沢で見て、東京で見るとの金沢でみるのとまた違って、そのちがいはおもしろかった。

私たちは地方で待ってます。

どうしてこんなところまで来てくれるんだろう?ご苦労様です。旅がしたかったのかな?地方だからって手を抜かない?でも大都市で見れない感じが見れたら儲けた気がしないでもない。とはいえ満足して帰りたいのでよろしく。(見る側)

どうしてこの人たちはここに来てくれたんだろう?なにを期待して足を運んでくれてるんだろう?この人と次、いつ会えるんだろう?なにがひっかかって来てくれたの?これか?これか?う〜んと、これでどうでしょう?!わー!(やる側)

つぶやき。

上記ライブ会場にて、一緒に楽しみましょう!にんにん!!一期一会!!!!!!
nikanvil.jpgANVILと広島クアトロ 2010.4.22

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2010.05.13

タラと春

塩屋の旧グッゲンハイム邸に来ています
にかさやのワンサマーハイムの録音で味をしめたこの館
豆腐がおいしいこの塩屋

みなさんそれぞれに初心というのがあると思うんですが
初心にもいくつかあって
初心1 初心2
あれもこれも、まあ そういえば初心
初心に返って大衆音楽
初心に返って声明音楽
初心に返ってオーバーダビング

オーバーダビング 楽しいわ
ひとりでやると 楽しすぎて はまりすぎて 終わりがなくなって
やめる
というパターンに陥りやすいですが
ふたりでやると 倍でやるから時間は半分 アイデア2倍
あんまり悩まず OK OK

タラジェーンと録音をしています。
とても楽しいです
あしたは旧グッゲンハイム邸でライブです

福井の敦賀では 生音でライブ これもまた別の初心回帰でした
ピニョンピニョンの存在は また わたしを励ましてくれるものでした

日本海側

ここは瀬戸内

ん?太平洋? との境目?

グッゲンハイムの次は 町田に行って終わりです

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