夏に、近所のおっちゃんたちが家におしかけてきて納涼祭の出演依頼のあった話を書いたが、あれは結果大盛りあがりで、最後のおっちゃん挨拶では「後援会を発足させようじゃありませんか!」となったり、翌週自治会長さんから、私の紹介文を回覧板でまわしたいから、これでいいか?と原稿を見せに来られたり、それはそれは結構な評判で、戸惑うところももちろんあるにはあったけれども、しかし私はこのことで、なにかつっかえていた板のようなものが、ひとつ突破されたような、すがすがしさを身に感じていた。 人に喜んでもらうことを自らの喜びとすることに、一度挫折を感じていた私は、そこから逃げすぎていたのかもしれない。やっぱり喜んでもらえるっていうのは、こちらの力になる。力をもらったら、それをまたお返ししたくなる。 その時の手応えが、今回の島慰問へと繋がった。 島行ってよかった。とっても楽しかった。大盛り上がりだった。そういう人らのはずだ、と思ったから「行こう」と決意したのではあったが、だいたい何でも、ショックを受けないように悪い方の予想も常にたてておく癖があるので、もし、島の人たちが、思っている以上にふさぎ込んでしまっていたら、私の歌などではなんの役にも立たぬ覚悟もしていた。だがそんな心配をよそに、今回は完全にいい方の予想に振り切った。ともかく風船の栓を放したような笑いの爆発力。突破されすぎてどう収集つけたらいいかわからなくて、さじを投げて、一緒にバカ笑いの渦に乗っかって、まるでクジラの噴水の上に押し上げられたような感覚だった。 思い出すだけで、ケケケ、イヒヒと笑みがこぼれるほどおもろかった。 ありがたいことに、私がレポするまでもなく、3名の方が書いてくれている。 同行してくれた、ヲルガン座のゴトウイズミさん 島出身の女の子、あっこちゃん 横川シネマ支配人の溝口さん そもそもこの原発問題をここ最近、急に意識し始めた大きなきっかけとして、来週12日に尾道で行われるライブの出演依頼があった。このイベントは、今回一緒に行ってくれたイズミちゃんが発起人となって動き始めた「NO NUKES RELAY」の一環。そのイズミちゃんとこの経験を共有できたことが因縁深い。 あっこちゃんは、島の出身で、お父さんやお兄さんが島で先頭に立って原発をたてさせない活動をしている。島のおばちゃん、おじちゃんたちのバカ盛り上がりの様子を「恥ずかしい~!」としきりに言っていたのは、あっこちゃんにとって、そのおばちゃんたちがみんな家族同様だからなんだと思った。 先月14日、ドキュメンタリー番組を見た翌日、横川シネマへ「堂脈」の宣伝がてらに寄った際、「慰問したいと思ったわ」と口走ったのを溝口さんに拾われ、1週間を切ってからの電話で「月曜ならこんどの月曜しか空いてない」と冗談半分に言ったのを、これもそのまま拾われ、トントンと決定。 今回のガス抜き(?)ライブがこんなにもスピード決定したのは、溝さんとあっこちゃんの行動力のおかげ。あと、電話。急ぐ用事は電話。思ってもいないスピードで転がるのはたいてい電話。電話はだから怖いのだが、このスピード感が、この一件を私に、よけいに面白く感じさせているのだとも思う。ころころころと転がるおもしろさ。気持ちよさ。頼もしさ。 鉄は熱いうちに打て。 ライブは、あまりの盛り上がりに、私の声は消されたい放題。「買物ブギー」がこれほど歌い甲斐がなかったこともない。がそれは逆に新鮮だった。この異様な盛り上がりの渦の中にいて、私の声は聞こえてはいないけれど、この渦のきっかけを作っているのが自分であることは間違いないという自負。みんなが笑っている対象は、わたしの横で仮装して踊っているおばちゃんなのだが、おばちゃんは私という存在があって、あれをやれている。この責任感は、家族の中での責任感にも似ていて、表で主役を張るよりもむしろ強く感じる種のもので、もしかして私は普段歌手で前に立っているから感じる機会が少ないが、歌を支えて演奏している人、ドラムの人、ベースの人達が感じている満足感とも似ているのかもしれないと思った。 さすがに「愛燦々」の1番の歌い終わりで仮装婆が乱入してきた時は、おい~今だけはちがうやろ!て、これ古い表現で言えば「ずっこけ」たけれど、「悲しい酒」のセリフのあとに「よっ!お嬢!(美空ひばりさんがファンの間で呼ばれていた愛称)」とかけ声が飛んできたり、本物の紙テープがばんばん投げ込まれたりといったことは初めての体験であり、パロディと紙一重であっても、子どものころからものまねばかりしていた私にとって、それはそれで初めて味わう感動があった。 とにかく、今回は島のおばちゃんたちに、おそらく本来の性分であろう、ガハガハっとした明るさ全開になってもらいたかったのが目的で、それが私の思惑を遙かに超えて開いてくれたようだったので、それはもう、ほんとに本望以上のことだった。 中には、もっとじっくり聴きたかった、なんて言ってくださる方もいたり、笑いをかっさらっていったおばちゃん(たみちゃん)も、他の人に注意されたのか、終演後も翌朝も、私たちのそばに駆け寄ってきてくれ「じゃまぁして悪かったね、あがぁなぁして、いけんかった?気ぃ悪ぅした?ごめんよ!許してよ!また来てよ!」と何度も何度も気使ってくれた。いやいや、あれがよかったのです! 面白かった。心に風穴が通った。楽しんでもらおうと思って行ったのに、元気をもらったのはこちらのほうだった。 このアホなほどのユーモアと人情パワーが、電力会社を手こずらせているのだと思った。そのパワーは、地球と直に繋がっている生活から得られるものだと思った。 朝一番の船で本土に戻る私たちを、朝一番の船で新聞が届くのを待つおばちゃんたちに見送られ、日の出前の半球の空の内側で、水平な水面に滑り出した。船内では5人でトランプ遊び、朝から「神経衰弱」。そして私は帰宅後、葬儀へお勤めに行った。