二階堂和美 nikaido kazumi

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つれづれにか vol.20

掲載:QUATTRO PRESS vol.66 / PARCO-CITY FLYER 2007 October

 お盆。ポケットに入れていた携帯電話が水の中に落ちた。水道の水で洗った。あまり拭かずにまたポケットにしまった。数時間後に取り出してみたら電源が切れていた。二度と入らなかった。「あ、こわれた。」そう言うと、傍らで酔っていた父が「いや~めでたいめでたい」と悪のりした。姉が父をしかりつけてくれた。だが、まんざら父の反応は場違いでもなかったかもしれなく、不思議と腹が立たなかった。私は「やった」と思った。その「やった」は「やってしまった」でもあり、「よっしゃ~」でもあった。
 そもそも人とコンタクトをとるのがあまり得意なほうではない。が人と一緒に仕事をしている以上そんなことをこぼすスキなどあるはずもなく、連絡事項に追われ、連絡不足に翻弄されていた時期だけに、思わず喜ぶ気持ちが先にきた。実際、連絡先がわからなくなったからといって連絡しない言い訳がたつことなんてひとつもないし、あらたに尋ね直さないといけない手間が増えるばかりだったが、そこが心境、というものなのだろう。妙にスッキリした。背中に背負っていた荷物が、いったん降りた。今自分にとって必要なものはなんなのか、また一から拾い集めることが出来るのだ。あるものを捨てるのは、執着が邪魔をしてなかなかむずかしい。だが、ないところから拾い集めるのは、気持ちが前向きな感じがする。
 嬉しいメールも嫌なメールも消えた。楽しい思い出写真も記念も消えた。記念ってなんだろう。写真に頼って、弱っている脳の記憶能力。何時にどこで待ち合わせましょうという計画性。肉筆による手紙。私たちは本来持っている能力をもっと活性化させるべきだ。わかっているが、日々増えていく新しいケータイのアドレス帳。
しかしそうして、おっくうながらも人と連絡をとり、ぶつかりながらも作品がまたひとつ生まれた。人と作り、人へ伝える。全ての仕事がそうであるように。
携帯WC

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