二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2012.05.04

時折のメディア

ここの存在をほぼ忘れて生活をしていた
何度か、今日は書こう、と思ったことがあったはずだが、それも忘れた
日記もつけず、いろいろ忘れていく。

今日は、新聞に連載してもらった、あれはコラムというのかエッセーというのか随筆というのか
なんていうかわからないけれど、それの8回目の最終回だった。
写真も絵もなく地味なコーナーで、見過ごす方も多かったと思うが、今日の「天風録」(諸紙で言い方が違うのだろうけれど、新聞の一面の、横長の、あれこそがコラムだろう)で触れてくださってあって、今日気づいてさかのぼって切り抜いた、という小学校の恩師からお電話があったりした。

あまり、ここを書く気がしないことのひとつに、
ここを書くことによって、人に負担をかける気がするというのがある
いや、これは自分が反対の立場に立ったときの話だが
たとえば、友人に手紙を書こうとするのだが
「最近はどうしてますか?」「あれはどうなりましたか?」などと書こうとしたとき
いや、きっとブログか何かに書いてあるだろうから、ちょっと見てからにしよう、
その方が話題が広がるだろう、
第一、公開されているものを見ないでおいて、直接たずねるのは
まるでその相手に興味がないみたいだし
私は見ない主義です、という態度も怠慢な感じがするし
などと思って、調べてみたら、やぱり事細かに近況が知れて
へー、なんて読みふけって時間がなくなって
思考もずいぶん先の方に進んでしまって
手紙のとっかかりも見失って
書くのをやめてしまう。
相手には伝わらない。
まるでずっと無視しているみたいだ
のぞき見しただけであるのに
会って話でもしてきたかのように詳しく近況を知ってしまって
自分だけ満腹になって
相手には伝わらない。
「みたよ」
とでも書けばいいんだろうが
いちいちの相手にそれをしていたら、時間がかかって仕方がない
「みたよ」とか、「ありがとう」と言えばいいだけの通信を
半年おいてしまうなんてことは常で、1年、2年という月日はあっという間に経つ。
「ごめん」をいう機会ばかり増える。

ここに何かを書くということは
見る人が見たら、あなたを後回しにしています、と公言しているようでもあるし
いちいち手紙をかきませんが勘弁ね、という言い訳のような気もするし
いや、それはずいぶん意固地な発想だが

なんとなしに
ここを見てくれてない人も
見てくれた人も
どちらも置いていってしまっているような感じがして
あまり、気が乗らない

悪いことではないはずのことが
なんだか悪いことになってしまうような

流れが、自分にとっては、早すぎてついて行けないだけなのだけど

だが、新聞などに文章を載せてもらって
それを「みたよ」と一報くれること
これだけで、どれだけその人のことを近く感じることか
ああ、こういうことなのだ、と
今日もまた思ったので
せめて、意固地にならずにここに書こう、と思った。

私は元気です!

あ、でも、これに対して「みたよ」って言ってくれなくてもいいんです
まぎらわしいことで、すみません

書けば、返事がほしくなる
これ、人間の性分

だから書かない

これ、弱虫

また何にでも応用できそうな話だ

こちら相変わらずNHKを見ながら批判しています。

ナレーション。
先日、杉良太郎さんと伍代夏子さんが東北を訪ねる番組で
女性ナレーションの明るい声で「この地方では何人の方が亡くなりました♪」
え?なに今の?だれ?と思って画面を見ながら待ってたら「富永みーな」と出た。
え?ベテランの人じゃないっけ・・・

その翌々日の同じ時間帯、
北海道の高校生が部員一人だけどがんばってるという青春ドキュメンタリーで、酒井若菜さんがその学校を訪れ、今日はここの部員を紹介する、とナビゲート。
始終、今にも泣き出しそうな暗い、暗い、沈みきったナレーション。
え?なになに?どんな悲しい展開が待っているというの?とつい最後までみたが、悲しいことなんて何もなかった。
まじめに読んだつもりだとは思うが
どうしちゃったんだろうかと、どちらも心配になった。

声の主ももちろんだが
これらをそのままOKにしている番組スタッフの感性のほうが心配。
画面に出ている主役を台無しにする、暴力的な声の組み合わせだった。

ナレーションはすべてを支配するのだ、と
合っていない時に、こういうことは初めて気がつく。
うまくいっている時というのは、特に違和感を感じない。

違和感を感じないということは、とてもうまくいっているということなのだな。

いい番組もあった。
昭和の日振替休日の朝にやっていた、時任三郎さんのナビゲートで原発と自然エネルギーをリポートした番組。ドイツ、デンマーク、フィンランド、それぞれのエネルギーとの向き合い方。
フィンランドで建設中の使用済み核燃料の保管庫へ、日本人で入ったのは時任さんが初めてらしいようなことを言っていた。
前に映画でもみた施設だが、海外のドキュメンタリーは字幕について行けずどうも頭に入らなかったが、今回は日本語でよくわかった。
自然エネルギーの可能性も、わかりやすかった。
子供向けとも大人向けともとれるアプローチ。
こういう番組がテレビで流れるようになったのは、いい。
毎日毎日、繰り返し放送したらいいのに、この番組。と思った。
祝日の朝だけじゃだめだ

もういっこ、ナレーションがすばらしかったのが
人物とその人のお昼ご飯を紹介する番組。
ナレーションをなぜか中井貴一さんがやっていて、それがとてもうまくて、最初中井貴一さんとはわからなくて、中井さんの中井さんぽくなさというか、けれどもばっちりはまっている様が、非常に見事だった。やっぱりうまいんだなー。

男性ひいきをしているみたいで、どうもバツが悪いが
今日は勢いでこの辺で。