二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2012.05.08

そして旅はつづく

明日、明後日はCINEMA dub MONKSのライブを見に出かけようと思っている。
にじみの旅で3ヶ月、彼らを拘束してしまったが
その後も国内外でたくさんライブを重ねている。
今は欧州から友人たちを招いて総勢6人でライブをやっていて
それがまたとてもいいらしい。サーカスみたいらしい。
いいなあ、行きたいなあ
と思っていたら、あ、見に行けばいいんだ、と思った。
欧州から来た彼らと、今繰り出す音は、物語は、どんなであるか。
欧州にはちょっと思い立ったくらいでは見に行けないが、
ちょうどついでのある東京、すこし前乗りして明日明後日
明日はキセルの辻村豪文くん、あさってはいしいしんじさんが、さらに加わるそう。
単純にお客さんとしてライブに行くのはとても気が楽で、まさに楽しくて楽しみ。

にじみの旅の時、大穂がよく、なにかの話をしてくれた。
物語を音楽で語るだけあって、普段の会話の中身もなにかの話、なことが多い。
ガンジーさんもいつも本を読んでいる。そんなちょっとした待ち時間でよく本を開く気になるねと思うほどすぐ開く。しかも物語じゃなさそうな本。

本を読むのは苦手でも、誰かの作った物語、どこか外国での出来事、だれかの伝記、誰かの考えなどを口伝で聞くのは、幼少時に枕元でおばあちゃんにお話を聞かせてもらったときの感じに少し似ていて、楽しい。
彼らの音楽を聴くのが好きなのも、それに似ているのかもしれない。

書こうと思っていたことを一つ思い出した。
4月に大友良英さんに誘ってもらった新潟でのライブ。
水と土の芸術祭のプレイベント。
ついこの間まで魚の水揚げ場だったという柱と屋根だけある吹きざらしの建物で
海(港)を背景にしたステージで、お客さんからは逆光の演者。
ステージからは、お客さんの顔がとってもよく見えた。
初めてライブに行かせてもらった新潟。
最初がこの水と土の芸術祭でよかったな、と思った。
新潟は信濃川と阿賀野川に翻弄されながら、水と土と、共生することを編み出した町なのだと知れたことは感慨深い。
ライブ自体は短いものであったし、大友さんのゲストなだけであったのに、前の日から行って2泊して、スタッフの方々とご飯を食べに行ったりもして、あれやこれやですっかり愛着がわいた。
写真とレポートを芸術祭のホームページで掲載してくださっている。
肉眼は逆光に負けても、カメラはふんばってくれたみたいだ。
芸術祭は7月14日から12月24日まで。
東京からなら2時間かからない近さ。是非行ってみてください。
うちからは7時間の新幹線一人旅だったが、寝ていたら着いた。
何冊か持って行った本も1ページも読まぬまま。

愛着がわいたことの大きなもう一つ、新潟ライブの日の夕方、
「しゃべったり書いたり」を扱ってくれていて会場でも出店してくれていた
北書店さんという本屋さんに寄らせてもらった。
休日だのに、開けてもらったその本屋さんが、
なんというか、とてもよくて
自分はずっと本が苦手だと思ってきたが
今もほとんど読まないが
陳列棚を見ながら、あれこれ次々放り投げられる店主の質問に応えているうち、
あれ?もしかしたら本が好きだったんだっけ?というような気になってきた。
ずっと長いこと忘れていた情景を思い出した。学校の図書館の夕暮れやいろいろ。
なんか、どれもこれも、手に取りたくなるような本が並んでいた。
まだ児童書コーナーしか見てないうちに、時計を見たら打ち上げの待ち合わせに遅刻の時刻。
こんな本屋が近くにあったら、本が好きになりそうだと思った。
あの本屋を訪れるためにもまた新潟に行きたいくらいだ。

うちの近くにそんな本屋はないなあ
ほんとにないかなあ?
うーん、あそこはどうだろうかなあ、まともに入ったことがないが帰ったら行ってみよう
などと帰りの新幹線で考えていた。
その翌日、「しゃべったり書いたり」の編集者さんから連絡があった。
彼女はその、“あそこはどうかなあ”と浮かんだ本屋の名前を出し、
「しゃべったり書いたり」を扱ってもらうことになったと。
なんと!まるで聞こえたみたいでびっくりした。

そういうことは案外よくある。
手紙を書こうと思って、便せんを出して、結局書かずに寝て、
起きたらその人からメールがきていた、というようなこと。

その地元の本屋さんに改めて挨拶に行かなきゃと思っていると、
自転車を押して歩く店主と交差点ですれ違う。
母の従姉妹の友達ってことでライブにも来てくれたことのある顔見知りのその店主に、わたしは車の窓から短くお礼を伝え、
「また行きます」と言うと「あ?はいはい」と流された。
その後まだ行ってない。そもそもほとんど行ったことがないのに、また行きます、の「また」自体がおかしい。
社交辞令と流されて当然。

北書店で買った本がどれもよくて、あれもこれも人にあげてしまったので
自分用に買い直したく、
それらがその書店にあったらすごいが、なかったら注文することにして、
でもまずはその書店の品揃えの中から選ぶのが筋ってもんだ
それを見に行ってみようというのが発端だった、そうだった

このブログも、CINEMA dub MONKSのライブがいいらしいよ、というところが発端だった

にじみの旅が始まる数日前にも、大阪で彼らのライブを見た。
それまでにも何度か行ったライブでそのたびに感動をもらっていたが
自分のバンドでこれから30公演いっしょに回ってもらう人たちの、
本領を今一度見ておきたいと思った。
行ってこようと思う、というと、
にじみのライブPAさんも、にじみの録音エンジニアさんも行くと言い、
誠一さんも元から行くことにしていたと言い、集まったことを思い出す。
PAのトキちゃんが、1部が終わった休憩で
「うはー、おもろー。めっちゃ見えた」と言ってた。
何が見えたんじゃろ。おもろー。と私は思った。
みんなそれぞれ見た物語は違う。
それが、インストゥルメンタルのおもしろいところ。

先日の新聞エッセーで、8回分のところ9本書いて、ひとつボツにしたのがある。
「歌はいらない」にまつわるエピソード。
今回は新聞だしな、と事前に父に読んでもらったら、
「何が言いたいんか、さっぱりわからん」と言われ、
確かに、わかりづらすぎる、と思ってこのテーマは保留にした。
まだ、うまく言えないが
この歌は、『にじみ』の着手記念ライブの準備をしている頃、
つまり『にじみ』の曲をせっせと書いている頃
尾道へCINEMA dub MONKSがライブにくるというので(そのときのDialy)、
私のぶんの練習のために、すこし尾道で時間をもらうことにして
明日がその日という前の晩、新しい曲を持って行かなきゃ、と書いた曲が
「歌はいらない」だった。
インストゥルメンタルの自由さに対して歌が抱いてきた、
嫉妬のような、自負のような、諦めのような
それだけでもないのだが
うまくいえないが
そもそも考えて作ったわけじゃなく
ただ前の晩、書き綴ったぼやきに
CINEMA dub MONKSとやるんだ、と思いながら節をつけただけだった。

彼らとリハーサルをしたその尾道で、また別の詞を書いて
それを帰りの電車で直していたら、誠一さんのスチールパンと、まるむしのバイオリンのフレーズが聞こえてきて、サンバの曲ができたのだった。

もうこれが最後、と思って臨んだ、にじみの旅。
あの感傷的な秋冬から半年が経ち、
新緑の5月。

その旅の続きが、さらっと始まります。
まずは京都と大阪と石垣島。

行く先々でのお客さんからもらう熱気に、
紅白なんかもういいや、かっこいい引き際とかも、どうでもいいや
そう思わせてくれたにじみの旅。

もうすこしだけ、旅をつづけさせてもらいたいと思います。
できれば、もっと各地にゆっくりしながら。
多忙なメンバーや赤ちゃん連れては、難しいけれど・・・

・・・・にじみを語り始めるとまた長くなるので、本日はこの辺で。

明日、明後日のCINEMA dub MONKSのライブ、
客席で会いましょう。ともに一杯飲みながら。