二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2010.12.27

足りないことの前置きのはずだった

一昨日朝、今年初めての雪を見た。
寝ている部屋から食堂に行くのに、一瞬外を通る。
夜こもっている部屋から寝に行くのにも、やはりそこを通らねば行かれない。
ほんの、2歩だけの渡り廊下。
部屋の中よりも外のほうがぬるい日
風の強い日
月明かりの輝く夜
いろんな気象状況をその2歩の間で、家に居るときは毎日必ず体験できる。

雪もそこで見た。
「寒いね〜!雪が降りよるよ」
「え〜?!」
2階から1階に降りてくるだけの母はまだ知らなかった。
窓ごしとはちがう、空気というのがある。

こないだ、友人らと雑談している中で
宇宙に行きたいという人があって、
私も宇宙飛行士を目指そうかと思ったこともあるくらい好きだ
だが、誰でもかれでも行けないほうがいい
みたいなことを私がしゃべって意外がられた。
もちろん誰でもかれでものほうに自分は入っている。
海外旅行も
誰でもかれでも行けるようになってしまって
たぶん いろんなものが失われた

わたしは海外の旅先で、それほど積極的に人に話しかけたりできない
最近はテレビでもBSの番組とか増えて、旅番組に出会う事が多い
取材班の人たちは、私たちがただ旅行しても行けないようなところも行ってくれるし
聞き出せない話なども聞かせてくれる
じゃあもう それでいっか。
ってことにしようよ、みたいなのがわたしの言い分。
でもそれはやっぱり「我慢しましょう」的な、今どき無理のある話で
ほんとはわたしだって行きたい
っていうのを、
その渡り廊下で空気にあたるのと窓越しに見るのとでは全然受け取るものが違う
というところで、再確認した

でもやっぱり飛行機がじゃんじゃん飛べば、空気が汚れる
遺跡にじゃんじゃん人が訪れれば、大事なものが失われてゆく

もみじまんじゅうで有名な、紅葉の名所の宮島のもみじの木が
実は大方が生育不良で、その原因が、大勢の観光客によって土が踏み固められてしまったためと調査結果がでたのを新聞で読んで
この夏、青森へ行って「奇跡のりんご」の木村秋則さんのりんご畑を訪れた時、
その理由で、畑を歩いてほしくないと言われた
その理由で、重い機械を使わないと本で読んだ
土が大事という話

自分の目で、肌で、感じたい
と思うのは、当然で、ほんとにそうしたいんだけど
こっちの希望だけでなくて
相手の事も考えたら
やっぱり辛抱しないといけないこともたくさんあるのだ

昨日、今年亡くなった方を振り返る番組をテレビでやっていて
昭和30年代でさえ辛抱っていう考え方が死にかけていた時代、今はもう完全になくなっちゃったんじゃないか、みたいなことをコラムニストの方が言ってた

わたしも5年くらい前に親と大げんかしたときに
「我慢しなさい」と言われて
全然理解できない と思った
そういう世代なのだろう

我慢は、いつか爆発するからしない方がいい
というフレーズを、しめた!とばかりに仏教の講義の中で聞いた
きっとそのフレーズの先にもなにか大事なオチがあったはずだが、忘れた
まあそもそも我慢は高慢とか傲慢とか我がままとかの類の言葉だ

日常に追われ埋もれていたら見えなくなっていることを、旅は教えてくれる
辛抱が必要だ、ということに気づかせてくれるならば
その旅はとてもいい旅なのではないか

辛さを抱き抱える

辛抱 に、割と前向きなニュアンスも感じ始めた今日この頃

寒いけど、厚着しまくって暖房使わないように辛抱してみています
ちょっとちがうか

身体は着込んで大丈夫でも
指先の冷たさに寒さを知る
それで、手袋はめて、キーボードを打つ

『solo』のことをかくつもりでここへきて
今朝のつぶやきを書いてみただけなのに
わたしはどうも短い文章にまとめる能力が低いのです
でも、大穂くんに教えてもらった
横尾忠則さんのツイッターがおもしろいよと
こないだ私が運転していて、後部座席の大穂がいくつか音読してくれて
それはすごくおもしろかった
「好奇心をそそる仕事がくればくるほど面倒臭くて断ってしまう」って
あっは!それ私じゃん
「好奇心にすぐ飛びつかないようにしている。好奇心は時には自分自身を狂わす場合がある。」
うわ、それも
普段感じているけど言葉にしてないことが端的に短い言葉になって
次々に読み上げられて、
すごい気持ちがよくて笑った

おもしろい話を人から伝え聞くのが好きだ

だから旅番組でもいいや

辛抱する中に、想像力が育まれる

そんなよいところもある

そういうのが好きだから 仕方ない
そういう、ちょっと足りない状態

『solo』というアルバムは、
ちょうど一年前の12月に作った。
録音は、一日。
(つづく)