二階堂和美 nikaido kazumi

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つれづれにか vol.9

掲載:QUATTRO PRESS vol.56 / PARCO-CITY FLYER 2006 September

博士 アルバムが発売になりました。みなさんありがとう!
 ところでそんな私は現在実家のお寺にて僧侶として見習い修行中。月に一回、大竹から横川にある広島別院にお経の声明(しょうみょう)を勉強をしに行っている。声明はまさに音楽。音階は、レにあたるのが壱越(いちこつ)、ミが平調(ひょうじょう)といった具合、正確には微妙に違うのだけど、ほぼそれに置き換えられる。変調もばりばり出てくる。メロディは博士(はかせ)といわれる記号のようなものが、ここでは歌詞にあたるお経の文言の横に書かれていて、みる人がみれば、だいたいの節がわかるようになっている。お経本は楽譜なのだ。というか歌本か!?博士は波線のような筆描で、それをたどって歌っていると自然と首もその波線と同じ動きをしてしまう。しかしこれが、非常にわかりやすい。私は楽譜がほとんど読めない。いやかろうじて読めても書くのはほぼ絶望的。そんな私でも博士には共感できる。波線で示されているのはともかく節回し。それをドで始めようがレで始めようが、本当はもちろん決まっているが、そんなことは後から置き換えればよい。西洋の楽譜はそういう融通に欠けるが、博士はその点なかなかユーモアがある。好きな高さでまずその曲を憶えてしまえばよい。私がギターでカポを多用するのに似ている。カラオケにも転調のボタンがある。自分が一番気持ちよく歌える高さで歌って初めて、その曲の良さがわかったりするものだ。
 お寺の本堂というのはたいてい音がよく響く。声が音楽が気持ちよく聞こえるように、だと思う。お経の音の高さも曲の後半に連れてどんどん上がっていったりする。それを多人数で唱えると非常に盛り上がる。気持ちよくなって、高くなっていって、極楽浄土に近づく、そんな表現の工夫が端々に見えて、声明の勉強はなかなか楽しい。

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