二階堂和美 nikaido kazumi

library

つれづれにか vol.43

掲載:QUATTRO PRESS vol.89 / PARCO-CITY FLYER 2009 September

イギリス/スコットランド ツアー 2006 日記 その17

4月25日(21日目)
 最後の最後に珍事件。アメリカツアーの時はアメリカ入国の時に別室に連れて行かれたり、ベルギーの時は荷物がレーダーに止められたりと、まあたいしたことではないが空港というところはなんかしら引っかかってきたところだが、今回こそは青柳さんが一緒だし、大丈夫だぞ。と思っていたら、やっぱりやらかした。
 事の発端は両替に手間取ったこと。スコットランドの空港で日本円への両替ができず、ロンドンでしてくれと言われた。日本に帰ってからでは、スコットランドの紙幣は両替が難しいと聞いていたので、どうしてもロンドンですませておきたかった。我々の両替金は、建て替えていた経費やギャランティなど合わさって、結構な額になっていて、しかも二人分となると空港内のいくつかの両替所をはしごしてようやくだった。すべてやり終えたころにはもうかなりぎりぎりの時間だった。はずだ。それから青柳さんと、じゃあ、搭乗口で、と言って別れ、わたしはぶらぶらとゲートまでの途中のお店なども眺めながら歩いてしまった。それがアホすぎた。ヒースロー空港の広さをなめていた。広い広い。遠い遠い。荷物やら身体をチェックする第一関門、ここにたどり着くまでが既にずいぶん時間オーバー。その上ものすごく込んでいる。だがそのときはまだ甘い危機感で順番を待っていた。だんだんやばそうなことに気がつき、ちょっと先に行かせて欲しい、というのを、誰に言ったらいいのかしらと焦りながら、ろくにでてこない英語でなんとか行かせてもらう。そこから搭乗口までの果てしなさと言ったら。いまでこそ国際空港の広さを知っているが、このときは完全に無知なおのぼりだった。搭乗口まで駆けって来たところで、離陸予定時刻の5分前くらいだった。間に合った!と思った。が搭乗口の女性職員の口からは、ため息混じりに「It’s too late.」。それキャロル・キング。と、It’s too lateのメロディが頭の中で鳴りつつ、え、だってまだ5分あるじゃん、お願い乗せて!連れもいるのよ~!のようなことを頼んでみるも、まるで却下。首を振って「あんたもわからずやね、イッツ・トゥーレイトなのよ!今頃来て乗れると思ってるなんて・・・ハア。」のようなことを言われたような、とにかく「It’s too late.」以外の英語はよくわからない。まさにこれがIt’s too lateなのだ。全然とりつく島もなさそうなので、しょうがなく諦める。幸い、「明日の便を探してあげるから、こっち来なさい」と諭された。まあそれならいいか。せっかく苦労して両替したのに、その分全部ここで飛んじゃうのかしら。ばからしー。そうだよなー国内線のようにはいかないのだな。あーあ、明日の予定もキャンセルしなくちゃ。広島に帰る切符も無効かな。『パリ空港の人々』みたいなところに連れて行かれるのかしら?一晩で帰れなかったらどうしよう。青柳さんってば、なんでとめてくれなかったのかしら、とか、考えてるうち、あ、荷物はどうなるのかしら?成田で一日預かってくれるのかしら?と荷物の引き替え券を見たら、私の名前で二人分の荷物が預けてある。そういえば、荷物を預けるとき、二人分をがざがざがざと乗っけたから、青柳さんの荷物の引き替え分もこの私が持っていることになる。ありゃ~、私の荷物はともかく、青柳さん、受け取れるんだろうか?と思って、さっきのおばちゃんに尋ねてみた。すると急にその血相が変わった。突然あわただしく、ピポパ、ピポパ、といろんなところと通信を取り始めた。(つづく)

Q43itstoolate.jpg

index