二階堂和美 nikaido kazumi

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つれづれにか vol.25

掲載:QUATTRO PRESS vol.71 / PARCO-CITY FLYER 2008 March

 仏教では一日の始まりは、日没(にちもつ)とされていて、そこから一日を6区分して、日中で終わり、と考えるのだそうだが、その理由がなかなか興味深い。昼は明るいので地上を見る、これは意識が外に向かっている状態。夜はというと、夜は宇宙を見るんだと。宇宙を見て意識は内に向かう。内なる世界を問題にするということ。地上しか見えない者には、そこを越えた意識は持てない、と。
夜 ・・・宇宙。夜は宇宙を見ているのか。その話を聞いて、夜型人間の方々のうしろめたさはすこし救われる、と思った。ついつい深夜に集中力が増して没頭してしまう事実は、どうやら大昔からみんな体験していたことのようだ。まあ昔の夜の真っ暗闇っぷりと、今の煌々と明かりが灯された中での夜更かし作業は、意識世界への入り込み方のレベルがまるで違うだろうが。しかし「夜書いた手紙は朝もう一回読み返せ」なんて言われるように、夜に盛り上がって、朝には冷めるというのは事実で、しかし逆に言うと、夜に顕れてくるのが正直な感情で、昼は理性によって抑制されている、ということにもなるだろうから、やはりあまりに正直な感情は、社会で生きて行くにはなかなか邪魔なのだろう。
 晴れた朝~日中は、働かないともったいない気がして、ふとんを干してみたり、洗濯掃除をしてみたり、正しく美しそうな人格が入り込む。地上だけをみているほうが健全な感じがするがそこに収まりきらないのが人間なのかしら。とはいえ内なる世界を見ようとする宗教家や芸術家だって地上も見ないとこれはやっぱりおかしな事になるから、そしたらいつ寝るんでしょう。寝不足ではやっぱりどうかと思うが。はてさて。昼と夜、光と闇との背中合わせ。毎日毎日それを繰り返しているのだから、人間の意識世界はなかなか忙しい。
 また春が巡ってきましたね。

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