つれづれにか vol.18
掲載:QUATTRO PRESS vol.64 / PARCO-CITY FLYER 2007 July
広島の片田舎にて、浄土真宗のお寺に生まれた縁をつないで、こんにち僧侶の勉強も併行しております歌手の二階堂和美です。
これがなかなかおもしろい。歳を重ねるごとにいろんな経験をしていくわけで、そうすると改めて、この仏教の教えというのが非常によくできていることに感心するばかり。人間の長い長い歴史の中で、脈々と受け継がれてきたさすがの人生指南。それにしても一応音楽家の端くれなので、やっぱり取っつきやすいのは声明:しょうみょう、お経などをよむことだ。中でも『往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)』はまさにコール・アンド・レスポンス。本堂の内陣(ないじん)、いわばステージに座するリード歌手が、ソロで「なーも~お、しー、しんきいみょ~うら~い」と呼びかければ、ステージ下にいる大勢が「さーいーほー!」と受ける。ほんでまたリード歌手(調声:ちょうしょう、という役名)が一句よんで、またステージ下がそれに付いて合唱して、というスタイルの繰り返し。他のお経よりもリード歌手のソロパートや繰り返しが多く、掛け合い度が高い。この「さーいーほー!」とは「西方」、つまりお浄土のことだが、これとヒップホップのライブでよくみられる、コール・アンド・レスポンス、「セイ、ホーオ!」「ホーオ!」はあまりにも似ている。「さーいーほー!」と称えながら、おもわず両手をあげたくなる。この『往生礼讃偈』、中身は阿弥陀仏を讃える内容。阿弥陀仏はすごい、すごいんだよ!という内容を、コール・アンド・レスポンスと数回にわたる転調とで盛り上げていくのは、いかにも理にかなっている。スティービー・ワンダーの「Golden Lady」と同じ手法じゃないか。そんなことが何世紀も前に作られているんだから、日本の音楽センスもかなりのものだ。
声明を称える上で、なぜそのメロディ、その転調になっているのかを探っていくと非常に興味深く、その本来の目標に添おうと思うと、なかなかハードルの高い歌唱表現が求められる。人を惹きつけ、魅力を伝える。宗教であるので、その先にある教えを伝えるための手段として、音楽が用いられているにすぎないが、にしても、浄土のすばらしさを、体感として表現したいという一心でそれらが作曲されたのであろうことへ思いを馳せると、それはやっぱり音楽家と相通ずる仕事だと感ずるのである。