二階堂和美 nikaido kazumi

diary

2009.07.25

7月25日夕方

あれ なんだっけ 
なんで一ヶ月以上も経ってるんだっけ
って毎回言ってるような
なんだか7月はたくさんライブをしたような気がします
実は今年は、今年はというかニカセトラの弾き語りのツアーをやらせてもらったのを区切りに、しばらくは制作とか、内側整えたりするのに時間をもらおうと思って、ライブをお休みさせてもらっているつもりなのですが、
意外とやってしまっているような気がする。
来週なんて家から歩いて3分くらいの空き地で納涼大会・・・
高齢のおっちゃんが3人、家に押しかけてきて
どうやって断るか
・事務所にふる ・ギャラをつり上げる ・先約があると言う

どれも出来ず。
いや伝えたはずだが、なぜかやることになっている
大人っぽい
「こういう人生もあるのかもしれないよな」
という言葉が脳裏をかすめた
こういうのも含めて内面整えさせてもらっているような気もする ということで自分をなだめる
なんか 明日死ぬかもしれないのに 出し惜しみしててもしょうがないよねえ
いやしかし、明日死ぬかもしれないのに、やりたいことに手が出せぬまま頼まれたことばかりやって人生が終わるのもなあ
「こういう人生もあるのかもしれないよな」
がまたでてくる
うだうだ言ってると反感買いそう
考えて書こうと思うと更新できないここ
ここを読んでくださっている方の中にも、お断りしてしまったイベントの方とかあるかもしれなくて、ごめんなさい。
「こういう人生もあるのかもしれないな」と思うんならやれや と思われるかもしれないですが、
そうですね、やれるだけのことはやりますね

「身を粉にしても報ずべし」
とは「恩徳讃」という、仏のお徳を喜びたたえる歌ですが、
何に報ずべしと歌っているかというと、仏にです
仏に報ずるということは、必ず仏にならさせていただくことに報恩感謝するということで
だんだんわからなくなっていくんですけど
つまり、慈悲に、ということで
こちらの苦しみとか迷いとかを、必ず救うと約束してくださるということが、
あり得ないくらいの深い慈悲ということで
それは実感したら、ほんとあり得ない なんだそれ ということになって
光のようなものの中にいる自分がイメージできて
感覚的には わかった気になります。
考えると なんかわからなくなるんですけど
感覚的にだけ、日食とかみたいに 時たま、すごい光が届いて来るみたいな

あ、そんな話をするつもりではなかった
台所から君が代斉唱が聞こえてきた
あれ、ケミストリーの右の人ってあんな顔だっけ?
マツダスタジアムも行きました6月末
私は野球はよくわからないので、主眼は家族サービス
家族? 甥と姪は家族か?
ビールを飲んだら、カープが勝ってたところのあたりはほとんど居眠りしていて
結局負けましたが 勝ち負けはどっちでもいいやと思ったけど
あの、ピッチャーとかのプレッシャーたるやいかばかりかと思ったらため息しか出てこない
わたしなんて適当な仕事をしているものだ
納涼祭でもなんでもやりゃあいいよな そうだそうだ
なんでもつべこべ言う暇があったらやりゃあいいのだ

さっきの話の続きはまたにします
さっきの話?
7月のライブの話
なんで仏教がそもそも起こったのかという私の想像

魚が焼けた
こないだ作った餃子も焼く

食べ過ぎ
ごめんなさい
いただきます

あ、おばあちゃんが来た