上空より 広島 青森

そういえば、青森。
・ニカセトラのツアーの時、金沢から札幌へ向かう飛行機から見た青森の半島のラインの美しさにものすごく感動したこと(津軽半島もだけど、とりわけ下北半島の反りたるや見事すぎて信じがたい光景)
・同じく鳥海山(と乗務員さんは言った)の上空から見た雪模様の美しさに感動したこと(雪の白と、冬の土地の藍色のコントラストが版画みたいで信じがたい光景)
・友達のakamar22さんが、木村秋則さんのことを紹介した本「奇跡のリンゴ」をくれたの読んでものすごく感動したこと(押し付けがましいのが魅力akamar22。)
・その中ででてくる「お岩木山」は、「りんご追分」や「帰ってこいよ」などの名曲でその名を「お」付きで昔から刷り込まれていて一度見てみたいと思っていたこと
・当時、松山ケンイチさんが気になっていたこと
などが同じ時期に重なって、
翌春に出演させてもらったアラバキロックフェスティバルの翌日、広島からはるばる東北まで来たのだからと足を伸ばさせてもらって、青森に一人旅をしに行った
その青森。
その木村さん。
そのお岩木山。
の、「岩木遠足」。
まさか木村さんのりんご畑にほんとに行ける日が来ようとは。
8月7日。
とても楽しみにしているイベント。

そのとき一人旅の2泊3日は、ほとんと人と会話をしなかったので
顔もほとんど動かしてなかった
帰りの広島空港からのリムジンバスでふとバックミラーに映った自分の顔がものすごく老け込んでいるのにぎょっとして、そのショックが印象深すぎて旅行の思い出を忘れそうだが
やはり、旅館の温泉で一緒になったおばさんも
「岩木山って歌によくでてくるでしょ?だから一度みたくなって」と言っていたし
下北半島の果てへむかうバスで隣り合わせた女性も
「私、松山ケンイチくんのファンで、一度彼の故郷が見てみたかったの」と言っていたし、
ああ、一人旅といっても、旅の動機が人とかぶっていると、結構客観的になれてしまう
と思いました
鏡を見るまで、一人旅最高だな、と思っていたのに、
鏡を見たら、一人旅恐ろしい、と思った

それはともかく、
今回はなんてったって、木村さんのりんご畑に行ける!(はず・・・)
すごいなあ すごい縁がめぐってくるものだ
不可能と言われていた、りんごの無農薬栽培を成功させた方です

今回は、ライブで行くので、たくさんの人に会えるから余計な心配は要らなさそう
広島からみどりさんも一緒に、羽田で乗り換えながら
上空から地形を眺めて確認して遊ぶ用の地図を持って(機内誌の地図ではあきたらず)
飛行機ってほんと、これするために乗る、って考えてもいいってくらい、スペシャルな乗り物だよね とつくづく思う
でもこわいからあんまり乗りたくない
やはりいつも乗る時は死を意識する

あさって8月6日は原爆記念日です。
朝、蝉の鳴き声が響く中、
65年前のその時に思いを馳せる
戦争が、争いごとが、なくなることを願って
なにができるかしら

8月6日に広島の上空へあがるのは初めて

空からみる

posted by Nika | 2010.08.04 21:50

藤井よしえという生きぼとけ

自転車におばさんがよく傘ホルダーをつけているが
ある日、私と父が兼用している自転車にそれがついていて
うわ、なんてことするんだ、こんなおばさんくさいもん勝手につけて
と思っていながら数日後のある朝、試しに日傘をつけて出かけてみたら
うーむ。なんて便利なんだろう。
こりゃおばはんたち全員つけるはずだわ
おかげで、日差しの強い夏でも自転車に乗ることが増えました
しかしながら、坊主のあの黒い衣は暑くてかなわんです
あれを、和服でなくて洋服の上に着ることは許されているのですが
その下に着る洋服というのが、透け透けなのでなかなか、モノを選ぶわけで
なにを着てみても、特に女性の場合はシャツにネクタイっていう定番がないので
おかしい。とにかくおかしい
あの衣をまとったからといって、いったいなんだっていうんだ
医者が白衣を着てないとなんかダメなように、
坊主もあれを着てないとなんかダメなんだろう
なんかダメなんならなんかダメでもいいような気もする どうせダメなのだ
まあそんなひとり売り言葉に買い言葉みたいなことはおいといて

ライブの後に、本人的にどうだったのか書いてよ、みたいなことを友人に言われた
それは、めんどくさいなあ
実はほとんど反省しかしていない
あとは、やっぱり当たり前すぎるけど感謝の気持ち
こういうのは書くとなんか嘘っぽいからあんまりわざわざ書くのは躊躇われる
来てくれていた皆さんにはその場で伝えたつもりであり
しかしながら、あらためてお礼状を書くという風習があるけれど
あれはご丁寧ですね
その場で別れ際によくよくお礼を言って帰ったのに
なんか家に帰り着くとまた、ありがとうございましたという気持ちがこみ上げる
そしてなにかお礼の品とか届けたくなってしまう
でもたまっていた仕事に追われて出来ないことの方が多くて、その気持ちはまるで無かったことになってしまうけれど、
ほんとはあったのです ちゃんとその感謝の念だけは送っているつもりだが
あ、ほらなんかやっぱり、言い訳くさい
しかし、テレパシーとかを信じているつもりは全くないが
不思議と、その人のことを思っていると、その人から手紙が来たり、
その人の書いたものに出会ったりする。そういうことが最近多いので
なんだか、じゃあ、伝わるかもしれないから、念じるだけは念じておこうと思ったりする 「たりする」のはもうオザケンの頃の時代の言葉だと思っているので極力使わないようにしているが、「思ったり、思わなかったり」する時はやはり便利で省略して使ってしまう。ちなみに「全然OK」も「全然問題ないです。OKよ」のダメ押しを、間を省略した形であろう。

ということで、では近いところだけでも書いておきましょう
ラマに行ってきました
その前の日の広島FMのコメント(毎週ではないけれど「庄司悟のリクエスト魂」という金曜夕方の生放送の番組へボイスメールを送っています)で、「夏フェスは嫌い」「行く人の気持ちがわからない」とかさんざん言っておきながら、結局二日間ほとんど居た。
えー そんな暇があったんだっけ?
自分の車で行ってたくせに、つい本番終わりでビールを差し出されて飲んでしまった。
ので、移動できず、冷ますための時間を過ごした。
二日間とも、朝一の、neco眠るとYSIGへ、ゲスト出演させてもらった。
自分の出演は辞退してもゲストは楽しいからいい
野外の暑い中で二階堂和美の弾き語りなんて全然聞きたくもない
基本的には私は音楽は音楽に集中して聞きたいので
ひとりで聴きたい ライブを観に行く時も、たいてい一人で行くし
だれかと連れ立って行っても、だいたいふらっと離れる
映画もそう 美術館もそう 人と一緒では全然集中しない
でも、わーわーやるライブは、別 そういうのも好き
まあ、別物ですね 家のカレーと タイカレーが違うような

とにかく、ゲストでやらせてもらうのは
ただただ楽しく嬉しいです
まあ、楽しいのは自分が大好きなバンドの時だけですが
今回は大好きなバンドだったからつい行ってしまった
それにしても、朝一番ってむしろいいですね
いちばんいいなあと思った
まだ体力ある で、飲んで過ごす。冷まして帰る。
うわーだらだらだ なんだこれ。これが夏フェスなん?

途中でレモンを買って会場に行こうかしらと企みつつ
どっちの日も遅刻してギリギリに会場入りしてしまって行けなかった
でも、会場の前の道を歩いていたら
レモンが落ちてました
見上げたら、それはレモンの木だった
あ、これ?レモンの木ってこんなんなん?!へー
瀬戸田は街路樹がレモンなん?へーすごい
さすがレモンの生産量日本一の瀬戸田
YSIGの本番中、ごそごそ木の下にもぐって拾って
YSIGのメンバーの数だけ拾って
みたら服にとげがいっぱいささっててギョッとして
なにをやっとるんだろう?本番直前に と思いながら
木にはまだ青いレモンがいくつもぶら下がっていて
わたしが求めていたのは、小ぶりの丸い、ピンポン球とテニスボールの間くらいの大きさのものだったのですが
落ちているのは結構大きいのばっかでした
そもそもは、前の日、髪を切りに行って
「岡ひろみ」(『エースをねらえ』のヒロイン)をオーダーして
それならテニスウエアでしょ、などと美容師のすーちゃんと悪のりしながら
necoの時、ラケットでレモンをスマッシュして打ち込む光景を思い浮かべていました
レモンが落ちてるのを見つけたのは、二日目の朝で
レモンの大きさも、まともに大きかったので
こんどは、サイトウJxJxくんとの「テレビジョン表紙」が浮かびました
もともと、わたしにとってJJは、しゃべり方が完全にアイドルで
誰のしゃべり方なのか、未だにピタッとこないのだけど、
トシちゃんとかマッチとか、そういうへんの
シャラシャラっとした、素人じゃない、タレントの声だと思っている。
ちなみに落ちてたレモンは、拾ったあと、在日ファンクの待機している控え室で洗って、ビールが冷やしてある氷水の中で浮かべて冷やしてから投げましたよ
中身はどうだったのでしょうねえ だれか食べたかな?
完熟して自分で落ちたものだと思いますから、露地ものならぬ路地もので、おいしかったかもしれません
昨日、その名残で、普通にスーパーで地物レモンを買いました。蜂蜜漬けにして皮ごと食べるのが好きです。

で、ラマは、ランキンタクシーさんとか、スチャダラ兄さんたちとか、在日ファンクとか、旅人くんとか、たくさん素晴らしい芸を見せてもらって、なんかすごく満喫してしまい、
しかも、初日夕方は、ちょっと足を伸ばして今治まで、私が一番好きなコーヒー屋さんに一杯のコーヒーを飲みに行ってしまったり、
そしたら居合わせた友人が突然だったのに夕食に招待してくれたり、
その道中、しまなみの大島大橋からチラ見した瀬戸内の夕暮れ風景が素晴らしく、
まるで西国極楽浄土。と、この島々山々を背景に金色に輝く水面を見る度いつも思う。

というわけで、たまっているブログをかいてしまおうという当初の課題は全く消化されぬまま帰ってきました
さすがに帰りの道のりはぐったりとして辛く果てしなく、途中のSAのベンチで何度も寝ながら、なぜかやけっぱち感に溢れていました
翌日はラジオ体操も休みました
今日は復活して行きました
昨日は今週5日の平和コンサート、および青森の岩木遠足の練習をみどりさんとしました。
5日のライブは告知をしていませんでしたが、会場であり主催でいらっしゃるお寺の方針で、無料です。「庄司悟のリクエスト魂」を生放送している、広島市府中町のダイヤモンドソレイユの近くのお寺、久蔵寺さんです。
ご近所の方々が主かと思われますが、どなたでも大歓迎とのことですので、よかったらどうぞおいで下さい。線路沿い、コンクリートのピッカピカの新しいお堂です。うちとはえらいちがいです。夜7時から、休憩はさんで30分ずつ。子どもたちもいるのじゃないかとふんで、絵かき歌も、ホワイトボードでちょこっと披露予定。平和コンサートと銘打ってあるのは、ここ久蔵寺さんが、原爆で亡くなった多くの方を思って建てられたお寺であるということに由来しているそうです。私のおじいちゃんの弟がそのお寺にお婿さんに行ったらしい。だからそこの家のみなさんも二階堂さんです。平和コンサート、というタイトルでライブをやるのは始めてなので、いったい何をしたらいいのかと構えてしまうけれど、普段から平和を願っていないわけがない、とも思い、いつもやっている曲ももちろんやります。
老人福祉施設とか、祝島のおばちゃんたちとか、夏休み子ども合宿とか、岩城遠足とか、カフェライブとか、夏フェスとか、やらせてもらう場は随分種々様々ですが、そこに歌が要る、あったらいいな、ということなのだろう。
どんな歌が?なにがそこにあったらいいのか?
予想しながら選曲する過程がもっとも苦しい時間であります。
そもそも人前にでてなにかするのは苦手であります。
しかしながら核兵器は廃絶したいです。
核爆発を利用した原子力発電所もたってほしくない。
被爆する人をわざわざ生むのはやっぱり広島に育った人間としてものすごく抵抗があります。
他の方法を考えたい。

以前、「仕方がない」という言葉が嫌いだという友人がいて
わたしは「仕方ない」「しょうがない」を割とよく使っているような気がして
なんかすごく悲しい気持ちがした
だって、仕方がない時は ほんとに仕方がないのだもの
仏教でいうところの「因縁」がそうかもしれないなと思う
映画『息もできない』で家や家族のしがらみに、えも言われぬ共感を感じた今の自分には、その因縁を受け入れるというところに強さを感じる
受け入れて、乗り越えるというパワー
仕方がない、はあきらめではある
だけど、常に後ろ向きとは限らないのである
じゃあどうするか。
変えられないものもある ということを知る
それが人生の歩みであると思う
変えられない どうにもならない
歩みを進めて行けば、そんなこと、そんなものばかりと思い知らされる
だが、そこで発想の仕方次第
アイデア次第なのである
仏教は ひとつのナイスアイデアだと私は思っている

藤井よしえという人がいる
彼女のバンドのトリビュートアルバムが出来る
今、彼女は生きている。福岡で生きている。闘病中だ。
わたしのこのインタビューをしてくれた人だ。
タイムマーケット バンドファイル
かなり初期。2002年2月。
今日、久しぶりに読んだ。
彼女と出会ったばかりの頃だ。
それから、時々しか会ってはいないが、ニーハオ!やplace called spaceの大木さんらと、東京や大阪、福岡でイベントに一緒にでたり、呼んでくれたり、
「二階堂和美のアルバム」がでたときには、彼女は結婚して子どもも生まれていて、
旦那さんが料理を作っているカフェ、gigiもできていて、
gigiと、タイムマーケットのイベントと、両方で発売記念ライブをうってくれ、
彼女のうちに泊めてもらった。
まだ幼い娘のはるちゃんと、深夜にロシアアニメのDVDを一緒に見たりして遊んで
夜中にこんな幼子が起きてていいんかいな、はよ寝かさな、とか説教しながら
彼女ら親子3人が寝ている普段のベッドから一枚引きずりおろして
「これ使って」と布団を渡され、わたしは彼女らのにおいに包まれて眠った晩。
藤井よしえとは、数年に一度、まだ数えるほどしか会わないのに
他の人にはしない個人的な話をすんなり話せてしまう人だ
「よしえちゃんは、シャンソンとかさ、なんか、飲み屋のママみたいな歌歌ったらいいんじゃないん?」とかなんとかい言った覚えがあるが
彼女の作る歌はとても乙女だ。
ソロも、バンドも。やっていることも。
彼女は店をいくつも運営していて、すごく大人だ。
すごく大人であり、乙女である、希有な人。
すれていそうで、すれていない。
わたしのほうがよっぽどすれている。
わたしは彼女に会うと、自分が汚れているなあと思わされる。
彼女はいくつも私を励ます言葉をくれている。
「自分に似合う服、うまいこと選んどうよね」
「二階堂さんの歌詞、すきたいね」
方言のいいまわしは違うかもしれないが、私の記憶の中ではそんなような響きで残っている。
わたしにとって彼女は、どことなく、仏様と似た役割を持っているのかもしれない
自分の心に鏡を向けられるような
彼女の純粋さが、ぐさーと、いや、すーっと かな、
だから、なんでも話せてしまっていたのだろう
しばらく会っていない
その周りの友達からも縁が遠くなっている間に
彼女はガンにおかされていた
知らなかった
半年遅れて知った
彼女の日記を全部読んだ
私はまた、この非常事態に、自分が励まされてしまった
やっぱり彼女の存在は仏っぽい
ちくしょう
どうにもならないこともあるけれど
彼女を見ていると、そこからの歩みが、その人の底力 その人の本質のような気がする
いや違うか、彼女は、そこまでも既に その人のまま、ほんとにきちんとやって来ている
だけど今感謝に溢れている彼女に、わたしはやっぱり感謝で一杯

私がトリビュートアルバムで歌わせてもらった曲は
よしえのソロのアルバム「familia」からの「sweet wind」。
彼女が、自分の家族への思いを歌ったものだと思う。
でも今彼女は、家族だけじゃない、友人知人、みんなに向けてこの歌を歌っているはずだ
と、わたしは勝手に思って、勝手に歌った
勝手に歌詞もちょっとアレンジさせてもらった
歌というのは、作ったときにはそこまで想像していなかった、というような深い意味を、図らずも持ち合わせていることがある
後日、後年、それに気づくこともある
よしえもきっと、気づいている
わたしはそれを やっぱり勝手に、歌った
このアルバムの売り上げは、よしえの家族に渡される
ひとりでも多くの人に買ってほしい
私たちにできることを考える
どうにもならない、受け入れないといけないところから
わたしたちにできることを考えるのが人間のわずかな知恵だ
苦難は乗り越えられる
気持ちのありようは、変えられる
きっかけは、人それぞれいろんなところに転がっている
よしえちゃんの存在、今の状況も、わたしにとってすごく大きなきっかけとなっている
音楽家、芸術家、宗教家は、主にそれをやるのが仕事なんじゃないか。
歩んで行くのは本人だから、
きっかけくらいにしかなれないけれど
孤独な歩みではあるが、
孤独な歩みを、そばで照らす光があることを知ることはできる
それは、生きてこの世に生まれたもののみが得られる出会いである
なんまんだぶつ
「感謝しかない」というよしえの言葉が深く響く

よしえちゃん、まだまだ生かされてる。
よしえちゃん、まだまだ生かされる。
生かされてるうちは、生きてる。
生きてるうちは、生きてるよ!
よしえちゃんが今生きてる姿が、どれだけの人を励ましていることか!!


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posted by Nika | 2010.08.03 17:58
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