ナメクジのように

めずらしく昼間にパソコンに向かい、音楽をかけながら文章を書こうとしているが
やっぱり難しい。音楽を聴きながら何かをするのはとっても難しい。
しかしながら4世代にまたがる家族と生活していると、3人くらいとの会話を同時進行で進めたりすることも結構あるので、だんだん聖徳太子化してくる 学校の先生などいかばかりか。

先日の東京、泊めてもらった友人宅のトイレの壁に貼ってあったいくつかの展覧会のチラシ、東京はやっぱりボコボコ面白そうなものが転がっていて、一瞬ときめいたりするが、すぐに卑屈な感情も湧く性分だ
そうは言いつつも、せっかくだからワタリウム美術館のジョン・ルーリー展に行った。
絵の感じがとてもよかった。でもそばに言葉があると、絵をまじまじと見る気分がなくなった。
意味はよくわからないのであまり心には響いてこなかったが、一番いいなと思った絵はポストカードにも図録にも載ってなかった。
おかしいなあと思ったら、3万円以上する限定図録に、限定版画として付いていた。げー と思ったけど、版画だしな、これはもしかして買うんでしょう私は、とか思いながらちょっと熱を冷まそうとショップの方をうろうろしているうちに、その付録の限定版画というのが本物よりも随分サイズが小さいので、これはない、と思ってやめた。代わりに「正義で地球は救えない」という本が目に入ってきた。
うわ、わたし今めっちゃ正義でものを考えてるかも、と思って手にとって、あとがきを読んでいたら「ほんとうの環境問題」という本の続編のようだったので、まずはそっちを買って帰った。

ワタリウムを出てすぐのおそば屋さんのおそばがおいしかった。東京はそば屋がたいていおいしくてすごい。これは卑屈にならずに単純に喜ぶ。別のテーブルに座っていた西洋人の男性2人が、日本語で会話をしていた。しゃべってる日本語自体は若干かたこと感があるものの、その声の音量や間合い、控えめな笑い方などが、ものすごく日本人男性らしくて不思議な気がしたが、外国に住んでいて、相づちとかが外国人ぽくなってる日本人はこういうことなんだろう、と納得した。

品川駅の新幹線のりばでレイ・ハラカミさんにばったり出会った。ハラカミさんと新幹線のりばでバッタリ出会うのは2回目だ。ほかにも、エゴ・ラッピンのよっちゃんと羽田行きの電車の中で会ったり、デルタのあやさんとロンドン行き飛行機の搭乗口で出会ったり、この一年以内だけでも意外とあるものだ。わたしの「脈拍」という歌のなかの「いつどこをふらつけば あの人に会えるのか」というのは、それなのにあの人にはなかなか会えないという気持ちを歌ったものだった、などと思い出した。バッタリ会うというのは、ドラマのようにドラマチックにはいかないが、意外とあるということで、希望を持ってもいいと思う。

ハラカミさんに「ライブですか」と尋ねたら、「ユーストで」と言っていた。
「ユースト?ってなんですか?」
「ユーストリーム。しらないか」
「ああ!昨日その言葉聞きましたね、昨日私が出たダブルフェイマスのライブもそれやってたと言ってました」
「今が一番おもしろい時期だから」
「ああなるほどそうかもしれませんね」
「ツイッターとかやってる?」
「いや、まあたぶんそのうち入会?します」
「あ、うん、入会料いるから」
結局ハラカミさんのそのユーストというのはあいにく見逃してしまったが
ハラカミさんのこういうことの鼻がいいのはさすがだ。

帰りの新幹線の中で買った本を読んだ。一年に一冊読むか読まないかくらい本を読まない私にしては、半分くらいまで読めたからましなほうだ。
寄稿した「真夜中」も読んだ。宗教特集と勘違いしていたが、信仰特集だった。
内心、なーんだと思った中で、ECDさんはびしっと宗教に触れていた。切れ味はやはりダントツで、悲しいくらい響いてきた。石田さんが文中触れられている宗旨では私はないけれども、宗教の中にいる自分にもむけられていないわけでもないので、ずっしりと手応えがあった。
寄稿の際、私がつい、依頼された文字数の倍以上の原稿を書いてしまったので、当然半分はカットされたわけで、しかしながらその作業は、アルバムを作る作業にも似ていた。自分の名前で発表される作品ながら、人との共同作業で客観性を練り込みながら仕上げていく点。それでも、目が痛くなるほど小さい字になってまで、なるべく残してくれた編集者さんに感謝している。カットされた部分についてはいつかまた折りにふれ、ここらへんで出てくると思います。
ところで、daily vitamineで取材いただいた死生観についてのインタビューは、アーカイブは残されず消えてしまったのかな?残念。私の探し方が下手なのかな?

「おばちゃんたちが・・・」というブログを書いてからもう10日くらい経ってしまった。
あの「翌日」、中国電力に電話をかけた。そしたら土曜で留守電だった。肩すかしを食らって、う~ん、じゃあファックスの文面でも考えよう、と思って考え始めたら結構やっぱり難しくて、代わりに寝床で漫画を書いた。私が言う漫画というのは、葛飾北斎の「北斎漫画」がいわゆる漫画じゃないみたいに、いわゆる漫画じゃなくて、ようは思いつきの手に任せて描くメモ落書きみたいなものだ。
枕元に紙がなかったので、転がっていたストッキングの台紙の裏表に描いた。それを翌朝印刷して「堂脈」で配った。ちょっとレイアウトを変えて4/24のライブにも持って行った。開場まえに、ばたばたしていてスタッフが捕まえられず、フライヤーの束の隣に置いておいたら、後から聞いたら、開場前に店の奥に仕舞われていた。

日にちを戻すが、土日をおいて平日になって、気を取り直して中国電力に電話した。代表電話にかけて「上関の原子力発電所のことで」と言ったら、女性のオペレーターさんが慣れた口調で「はい担当に変わります」と言って広報課というところにつながれた。生まれて初めて抗議の電話というのをしてみたのだが、もっと軽くあしらわれるのかと思いきや、一時間近く論議を交わした。ようは言いくるめる部署なのだなあと知った。冷静に話をしようと思うとまるで自分はインタビュアーみたいだった。「こども記者」になった感じがした。抗議はできても、こちらによほどの知識がないと、相手を言い伏せる反論は難しい。相手は説明会の口調で、向こうの言い分でこっちを納得させようとしている。
様々な問題点をひとつひとつ質問、抗議しているうちに、やっぱり一つだけ、これがために、やっぱり建てない方がいいとはっきりと言える点が見えた。
それは、廃棄物はくるんでくるんで地中深くに埋める、と決まっていても、
埋める場所が決まっていないということ。
今探しているらしいけれど、それが決まってもいないうちに建設するなんて、そんなばかな話が通るなんて、どう考えてもおかしい。今ニュースで話題になっている基地の問題も似ていて、やっぱり国の軽はずみな政策が原因なのだと実感した。

文部省が小学生相手にポスターコンクールを推進して、原子力が地球に優しいエネルギーであるとすり込んでいるサイトも見て、心底おぞましく感じた。

電話を終えて、こどもたちのポスターも見て、もしかして、私は、自分の町に原発が建つ、となったら、ここまで反対に燃えていただろうか、とふと思った。
私は、おばちゃんたちの30年の重みに突き動かされているのだと思う。
祝島の人たちの反対運動が、いかに少数派で厳しい選択であったかということを思い知り、それがまるごと無駄に終わっていくのが、心苦しすぎる。
私が日常生活を送っている間も、仕事をしている間も、あの人たちは、今日も自分たちの漁業や農業に専念できぬまま、海を守るために、将来のために、身を張って冷たい浜の地にナメクジみたいにへばりついている。「生活のため」ではもはやない。だって、彼らは生活さえ既に投げうっている。老後もなにもかもだ。運動家、活動家ではない。ただの島のおばちゃんがだ。
わたしにわからない難しい問題を、おばちゃんたちだって、わかっているわけではないと思う。
「ほんとうの環境問題」で池田清彦さんや養老孟司さんが分析したりアイデアを出してくれているような頭のいいアイデアや切り返しが、ここからでてくるわけもない。なのにやっている。ということは私のような頭のよくない人にもできる。というかやらないといけないのかもしれない。
ああ、また正義でどうにかなると思っている そうではない
うーん、頭のいい人が考えた、よさそうな案が、どうして国に通ってないのでしょうか??どういうことなのでしょうか??
大人になると勉強しないといけないことがたくさんあるようで、やっぱり若いうちにしっかり趣味に興じておくのは大事なことかもしれない。

漫画を添付しておきます。

原発にか漫画01おもて.jpg

原発にか漫画01中面.jpg

posted by Nika | 2010.04.27 11:30

堂脈vol.5を終えて

18日の堂脈vol.5にお越し下さった皆さん、ありがとうございました。
いつのどのライブも、来てくださる方々にはほんとに心からありがとうと言いたいです
でも自分で企画をすると、ほんとにその気持ちはひとしおで
なんというか、こうやってこれまで皆さんはイベントを組んで呼んでくださってたんだよなと思うと、過去のいろんなイベント全部が、非常に生々しく思い出されてくるというか
そんなことを考えるのも歳なんでしょうかね

昨年3月、地元広島で始めたこの主催イベントですが、今回は特に、通常のライブの際に一緒に行動する東京のスタッフや音響オペレーターさんとかが一切かんでなくて、ほんとに会場の横川シネマさん、ケータリングのカフェネコバコさんはじめ、地元で知り合った友人知人たちの協力、いや協力というよりは、もはや主体となって動いてくれた実感を得られた回で、フライヤー配ってくれたり、ポスター貼ってくれたり、ラジオでの宣伝やら、口コミやら、機材の調達やら、DJやら、物販やら、撮影やら、打ち上げの準備やら、ものすごいフォローしてもらった。印刷物やグッズも、地元のデザイナーさんと細かいやりとりをして仕上げてもらった。誰に頼んだらいいのか、迷っているうちにしぼんでしまうことも多いのだけど、しぼまずにやる勇気がでてきた。そして、仮にゲストのアーティストのことを知らなくても、二階堂和美に免じてか、横川シネマを信じてか、集まってきてくれるお客さんがいるっていう、それでようやくこのイベントの意味というか、役まわりというか、何でこれをやろうと思ったのか、というようなことが形で見えたような気がしてほんとうに嬉しかったです。
これまでの4回も、それは同じで、ですがろくにお礼を伝えられていなかったと思うのでごめんなさい。ここであらためてお礼を申し上げます。ほんとに、ありがとう。お客さんにも、演奏にきてくれた音楽家たちにも、スタッフにも。

今回、特にアンケートをたくさん読ませていただいて、その思いが強いのかもしれません。
いつもは感想を直接聞かせていただくことは少ないのですが、こうして読ませていただくと、予想以上に励みになるものですね。自分でも驚きます。ありがとうございます。
今後の堂脈も、いろいろ計画があがっております。ご期待下さい。

シネマダブモンクスさんとの最後のセッションが、今回のハイライトだったなと、自分では感じました。いいようのない気持ちよさへ陶酔したひとときだった。

このところ、東京やらあちこちへ引っ張り回しているピアノのみどりちゃんとは、日を追うごとに私が図々しくなってしまってあれこれわかりづらい注文を出しまくるのですが、不思議なくらい応えてくれるもんだから、これまで火をつけずにしまっておいた火種に飛び火していく感じ、それらが形になり始める手応えがあって、希望に燃えるってこういうことか、という感じがしている。

それにしても、「お客さん」のことをなんと呼んだら一番しっくり来るのだろう?
オーディエンス?の訳って「聴衆」?ってなんか、「衆」ってなんか十把一絡げ感ありすぎるし、「リスナー」ってラジオっぽいし、「観客」ってやっぱちがうし、「客」っていうとすごく金銭関係が見える感じがする。無料の時だってあるでしょう?来場者?なんかそんなに細かくわけなくても、なんかあってもいいような気がするんですけれど。「聴いてくださる方々」といちいち言わないといけないのがもどかしい。

そういえば、newsにも載っけてもらいましたが、「真夜中」にロングエッセイなるものを寄稿させていただきました。まだ現物を見てはいないのですが、3月いっぱいかけて取り組んだ結構ボリュームのある原稿です。かなり個人的なことをいろいろかかせてもらいました。恥ずかしいくらいですが、せっかくなので是非読んでいただきたいと思っています。

地元で云々、の思いとも繋がっているな。

デリバリーのセレクトCDも気に入っている。偏っているかもしれないけど、普段あんまり歌ものは聴かないのでこういう感じです。ぼんやりした昼間とかにいいかな。

あと、キッズチャンネルの「あたらしいなまえ」という歌も、かなり気に入っています。とってもいい曲なんです!4月のテーマソングなので、もうすぐ終わってしまう・・・。うちはCS見れませんが、見られる方は是非フルコーラスで聞いてください!試聴も、意外に長くは聴けますが。こちらのnewsから飛んでください。

いろいろ、すこしずつ書いていきます

posted by Nika | 2010.04.22 01:17

おばちゃんたちが・・・

どうしよう
わたしがうかうかしている間に
一緒に歌って踊ったあのおばちゃんたちが
どう見ても虐げられている
うわーん どうしよう
どうしたらいいんだ
あした中国電力に抗議の電話をかけよう
「インターネットで現地リポートの写真を見ました
あんなやり方はおかしいと思います」
何十回も
ファックスも
もっと頭のいい方法を教えてください
たのむ。ca3a0287.jpg
わたしにはわからないよ
知恵を貸してください

島根の原発では
3月、123カ所の点検漏れが発覚した上、
数日前、その責任者が自殺(?)している
なんて不気味なニュース
絶対やばいやんか

どうしてこうなるのだろう


そういうあんたも電気使うんでしょ?とかいう切り返しは今別問題

「東京原発」って役所広司さんやら吉田日出子さんやらかなり豪華キャストの映画を
こないだ再上映でみたのだけど、あの映画、是非多くの人に見て欲しい。
2005年に作られた映画。
「東京原発」オフィシャルサイト

私は今、週末のイベント「堂脈」のことやらアルバムsoloのことやらを書こうと思って
ネットを開いた。
でも上関原発反対の署名を集めさせてもらったお礼や報告も書いてなかった、と思って
みなさんからいただいた署名は、3月末〆で確かに送りました、ということ、
ライブ会場各地で署名してくれた皆さんにほんとにありがとうという感謝と
北海道の水玉さがしのよしこちゃんが100人以上もの署名を集めてくれた感動、
直接送ってきてくれた友人たちへもありがとう、と伝えたい
でもそのまえに、現状はどうなっているのか最近の動きを知らないままだ、とハッとして
探してみたらこんなニュースにぶつかってガーンとなっている今

もうなにが大事なのかわからなくなってくる
どうしよう

きちんと情報をあつめることと、実働することとはどちらが大事なのか?
実働とは何を指すのか?

時間をかけてる暇がない・・・
この反対は、まちがってない、とわたしは信じている

まずは中電に電話じゃないか、というのが今夜の判断。

ショックを受けた情報源はここでした
http://iwaijima.jugem.jp/
http://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/

posted by Nika | 2010.04.17 01:42

時は流れている

東京に5泊して今日帰宅
駅のプラットホームに入る直前、新幹線からマツダスタジアムが見える
試合をしていた
ゴールデンタイムに帰ってくることもあまりなかったんだろう シーズンもあるし
試合をしている最中にここを通るのはたぶんはじめてだった
新幹線客にアピール 「0対3」 ヤクルト戦
客席ガラガラやんか、ほんまにこれ試合中かいな
でもなんとなくナイターやってるリアリティがよかった
在来線に乗り継いでさらに小一時間揺られた後
タクシーに乗ったらやっぱりラジオ中継
運転手さんに「何対何になった?」と聞いてみようかとよぎったけどやめて降りて
家ん中入ったら、おとうさんが焼酎飲みながら見よった
テレビ画面では、ちょうど「5」という数字が回転していた
お!進んでる
時間は進んでいる
時は必ず流れている
と思った
あと1回 というところで中継が終わって お父さんが寝に帰っていった
消されたテレビのスイッチをなんとなくもう一回入れたら
ジムキャリーの映画がはじまるところだったのでつい観た
ジムキャリー
やっぱりジムキャリーだよ
やっぱりジムキャリーだ
ジムキャリー
惚れ惚れする
carp-kun.jpg

posted by Nika | 2010.04.15 00:44
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